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変化の夏

(写真は夏の大雪山)

引っ越して初めての夏だが、暑い。昔はこんなに暑くなかったぞ?


大雪山まで家族で車を走らせることになる。暑いなら少しでも涼を求めて高いところへ、となったわけである。


私は大雪山など、行き慣れたつもりでいた。「山登りをするヤツの気持ちが判らん」などと日頃言って登山者を敵にしている私であるが、実は昔は大雪山を縦走するなどということもしており、山で過ごした経験は多いのであった。

だから場所なども覚えているし、なんならどこまではどうなっていてどう進めるか、ちょっと立ち寄る程度ならどうすればいいか、などということは心得ているつもりである。避暑のために山に寄るなんてのはわけない。まあ吾輩が案内して進ぜよう、ガッハッハ。そう思って口にもしておったわけである。


我が家において、私が「わけないから。余裕だから」と言うときは、不穏な展開のフラグが立ったときである。


まず、山まで車でたどり着かない。なんせ山である。写真にあるごとく、盆地では果てを見れば山がある。ということは、「あっちに行きゃいいさ」くらいの感覚でそちらを目指せば良いはずである。それは理屈である。

おかげでカーナビにも頼ることなく車を走らせた。娘も山が近くなると「あの山に行ってみたい」などと指をさして言う。よしよし。順調である。


ところが、近くに来ると、どう行ったら良いかが判らなくなる。私のイメージは、山からは放射状に道がいくらもあって、そのどれをたどってもどうせ山にはつける、というものであった。だが、そんなわけはないのである。山に向かってまっすぐな道があれば、傾斜は急になりすぎるのである。

というわけで道は山をジグザグに走っている。これに加え、山肌に沿った波状の道だの、一周はしているんじゃないかってくらいの大きなカーブが重なるのである。「あの頂上にさえ向かえば、ゴールにはたどり着けるんだ!」理論は、あえなく崩壊する。


さて、直角な曲がり角以外を曲がると混乱する私の性質を熟知している妻は、ハナから私をアテになどしていない。さっさとカーナビをつけるのであった。大胆にも、「旭岳」と山の名前を入力してしまうのである。


「いやいや、山の名前はさすがにないでしょ。建物の名前じゃないんだし」


とツッコんだら、これがちゃんと出るのである。それも山の周辺一帯を示して「ハイ、山です」で終わりなどということはなく、ちゃんと目的地までのルートを細かく案内してくれる。それどころか電話番号の表示まで出る。山に電話番号?なんだそりゃ?


とにかくカーナビに従うことになった。するとあっさりロープウェイのあるところにまで出たのである。


外に出ると・・・まだ日差しは強い。求めるのは涼である。となれば、ロープウェイを登るのである。

家族3人でたいそうな金額を払ってロープウェイにウェイウェイ乗って、行けるところまで行くと、、


寒かった。ときどきうっすらとした雲に触れるほどの高度ではないか。

妻は用意していた上着をさっさと着た。私は頂上じゃあるまいし、そんなものは必要ないよ、とナメていたのであるが、寒かった。


「着な」

「はい」


妻はすべて調べ尽くして準備していたのであった。


かくして一家の主とみなされて差し支えないはずの私の権威はいつも通りに失墜。何度も訪れたはずの山を、初めて訪れたはずの妻に案内されることになる。でも、芋餅やら焼きそばやらなんやらを食べて楽しかったのであった。



そういえば「北海道に行ったらクマが出る」と行っていた妻を「んなわけないから。本州の人の勝手な思い込みだから」とバカにしていた私だが、今、北海道ではクマが大問題である。娘も相撲大会や運動会の会場を変更させられてしまった。

それでも信じられなくて「新聞ではそう言っていますけれど、本当に出るんですか?」と警察で仕事をした機会に聞いてみたが、「本当です」とのことであった。ドローンやカメラで連日調査しているという。どこでも発砲はできないし、苦労しているとのことであった。マジすか。



なにごとも知識はアップデートする必要があるようだ。去年の夏は今年の夏ではない。夏のほうが、変わっていく。




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