学習理論備忘録(22) 心灯杯第三回 "Mehr Tsundere"
(全文無料で読めます)
さや香姐さんのこの企画に参加しています。
なんと学習理論備忘録の続きを、この企画の「過去」「見返り」「増えるツンデレ」で三題噺を作るというルールに法ってやってしまおうという相変わらずなんでもアリの吟遊である。
マジで " Learning and Behavior Therapy " 第4章 THE ROLE OF CONTEXT IN
CONDITIONING :CLASSICAL SOME IMPLICATIONS FOR COGNITIVE BEHAVIOR THERAPY(古典的条件づけのおける文脈の役割:認知行動療法へのいくつかの示唆)について学んだことについてまとめる。
さて前に、「消去された後に条件づけが回復する」ということについて話をした。
ところで学習理論の「学習」とは、今更ではあるが説明すると、われわれが落語や講談やのこぎり音楽教室(1)といった習い事をするような学習とはちょっとイメージが違う。
(1)いずれも広小路亭で学べる。嫁入り婿入り修行にどうぞ。
それらももちろん行動である以上、学習に入るかもしれないが、もうちょっと些細なことも学習である。
例えばここで砂男(仮名)くんの例を考えてみよう。
砂男(仮名)くんは、キャバクラ『ハートウォーミンググラス』で派手に遊んでしまい、その帰り際に奥から出てきた黒服のお兄さんに「ほう、ツケにしたいと。解りました。お金にお困りのようですからお家までお送りしましょう」と言われ、黒い車で送られ、家の場所をしっかり覚えられる、といった体験をした。まったくありがちな、いや、けしからん話である。
だが同情もする。砂男(仮名)君はその後、黒い服を見ただけで震え上がるようになってしまった。
、、といったようなことも学習である(社会勉強とも言う)。
・・・ええっと、例えが悪かったかな。もうちょっとシンプルな例も出しておこう。ブザーとともに食事が出されると、ブザーだけでよだれが出る、というあれだ。あれも学習なのだ。(このような場合、黒い服やブザーは「条件刺激」と呼ばれる)
学習は「条件づけ」という言葉とほぼ同じに考えていい。要は、過去の経験から連合が起こるのである。平たく言えば、連想ゲームが成立してしまうのだ。「黒い服といえば怖い」「ブザーといえばよだれ」というように。
「消去」とは、この学習されて生じていた震えやよだれといった反応(条件反応)が、脅しや食事といった刺激がなくなることによって消え失せるということだ。
ブザーが鳴っても食事が出てこないということがしばらく続けば、やがてブザーでよだれを垂らすということはなくなる。黒い服を着た人に出会っても脅されないという経験が重なれば、黒い服を見ただけで震えることはなくなる。
これは、「新たな学習をした」とも考えられるかもしれない。「黒い服→恐怖を呼び起こす」という学習に対し、「黒い服=危険はない、よって恐怖を呼び起こさない」という学習を上塗りした、という風にも考えられるわけだ。
仮にそうだとして、この「黒い服は危険じゃない」という学習が、これまた消え失せて、「キャバクラで黒服を見ると、やっぱり恐怖に震える」ということが起こりうるという話もした。
この「恐怖の復活」には、「文脈」がどうも関わっているらしい。時間とか、腹の空き具合とか、薬を飲んだ影響下にあるとかいったあらゆるものが文脈になりうるが、ここでは「キャバクラにいる」というのが文脈として重要そうだ。
ここには、(条件刺激の)「意味」というものが重要な役割を持っている可能性がある、というところまでを話していた。以上が復習である。
ここで話を身近にするため、ツンとした美人のお姐さんと部屋にいると想定しよう。他意しかないが、仮にさや香という名前だとする。最近そのツンが増し増しだとする。
ここで、ツンという専門用語も説明しておく。この記事内では、「よそよそしい振る舞い」としておく。
もっとも「よそよそしい」は曖昧な表現である。だから具体的には「口がきけないのかい?」とか「あんたバカあ?足台にはあんたがなるんだよ」とか「人柱を専門に扱っている業者が友達にいてねえ」とかいった、「あなたに害することを示唆する言動」という刺激クラスを、とりあえず「ツン」と呼ぶことにしよう。
(実はこの定義でも不完全かもしれないが今は深入りはやめる。直感的に「ああ、この手のセリフね」と思っていただければ理解はできるだろう)
あとここでは念の為、あなたはツンには萌えないものとする(「萌え」るとどういう反応が起こるかは専門書に譲る)。そうしないと話がややこしくなる。ツンで萌えるのはすでに過去に学習が成立しているからだ。当初ツンは中性刺激のはずだ。だからここではツンについてまだなにも学習されていない前提とする。
みんながみんなツンデレが好きなわけではないことは、たけのこさんの作品などを参考にしていただければよいであろう。
そのツンなさや香は、あなたに電気ショックを与える。さや香がうる星の出身だったという設定は非現実的なので、リモコン操作できる電気ショック発生器をあなたに取り付けた、というよくある設定にしておこう。ツンとしたさや香がリモコンを操作すると「電気ショック」が与えられる。
するとあなたはやがて、さや香のリモコン操作だけにも強く反応する。必ずしもさや香は「電気ショックリモコン」のボタンを押すわけではない。テレビのチャンネルを変えるかもしれないし、自分が座っているマッサージチェアーのスイッチを入れるだけかもしれない。なのにあなたはボタンが押されるのを見るだけで恐怖に震えてしまうだろう。
ある日、さや香がボタンを押すと「ピピピ」という音が鳴った。電気ショックは流れなかった。ボタン・ピピピ - 電気ショックなし。これがセットだ。これが繰り返された。さや香は相変わらずツンとしている。だがボタンを押す、ピピピ、電気ショックはない。これが繰り返された。
やがてあなたは、さや香がリモコンボタンを押しても平気になった。
だがそんなある日、
「嫌いなわけじゃないからね」
これまでツンツンしていたさや香が、ある日急にデレに転じたのだ。デレはどんどん増えていった。
さて、さや香がリモコンのボタンを何気なく押した。
するとあなたはどうなったであろう?
震えたのだ。
ちなみに、ピピピと鳴ると、震えは起こらなかった。ツンでもデレでも、ピピピで恐怖は抑えられたのである。
さて、何が起こっているのであろう?
「リモコンのボタンが押される」の「意味」が「ピピピ」という刺激、また「ツン」と「デレ」という文脈によって変わったのだ。
また、「ピピピ」の意味は、文脈によっては変わらなかったのだ。
「リモコンのボタンが押される」というのを見るという視覚刺激が、最初の学習では電気ショックとセットになった。「ボタンを押されても電気が流れない」は2番目の学習ということになる。
この2番目の学習は、その学習をした文脈でしか成り立ちにくいのではないか、と考えられるのである。最初の怖黒服お兄さんの例を考えれば、
「『黒服』 ー 脅されない ー 恐怖しない」
は、キャバクラの外で結びついていた。
だがキャバクラという文脈では、再び恐怖したのである。文脈を飛び越えて学習は成立しなかったのである。「黒い服で恐怖しない」は黒い服についての2番目の学習だからである。
なぜ人間(動物)はこのようにできあがっているのだろうか?ここには進化心理学的な考察が可能である。
進化の考え方を簡単にいうと「動物の形や機能には意味があるからそうなっている」である。その形や機能にするには、それ相応のコストがかかっている。そこに栄養が割かれたり、そのような形や機能以外の形や機能を備える機会を捨て去っているのである。
それでもそう出来上がっているのは、その見返りがあるからである。
最初の学習は文脈に関わらず成立し、2番目の学習は文脈限定で成り立つという脳の戦略にはどういう見返りがあるだろうか?
おそらく、あるものの性質は、第一印象で判断すると正しい確率が高いからである。虫に刺されたときに「虫は危険だ」として反応すると、後々も虫を避けられる。世の中には安全な虫よりも危険な虫が多いときには、最初に出会う虫が危険なものである確率が高いので、これは理に適っている。
だがそれでは大雑把すぎる。しかも、たまにハズすこともある。そこで2番目の学習なるものがあるとより便利なのだ。対象への反応を修正したり、細かく場合分け(弁別)ができる。
だが2番目の学習では、対象の意味は曖昧である。虫で言えば、この状況でこの虫は安全だが、別の状況では危険かもしれない。実際のところ虫って安全なの?危険なの?この結論が宙ぶらりんになる。
だから文脈が変わったときは、とりあえず最初の学習の反応に戻してしまうことになっているのだ。
本日はここまでである。
PTSDの治療をする際に、トラウマになったものに晒す暴露療法というのがあるが、治療室で治療すると、治療室の外では再発する、ということもこの説明によって理解できる。また、危険でないものについては早めに「安全だ」という学習をすると、将来それを恐怖しにくくなり不安症の予防もできる。小さい頃にさまざまな体験を安全にしておくことは大事そうだ。
臨床的にも示唆に富む内容であった。
Ver 1.0 2020/12/6
学習理論備忘録(21)はこちらであるが
今回の話はこちらの続きになっている。
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