白馬から王子様を消した!ーー映画『スノーホワイト』
白雪姫研究をしている。白雪姫に関するもあらゆるものがその対象である。
そんな私にとって、グリム童話誕生200周年を機に白雪姫の映画が二つ作られたのは嬉しかった。そのうちの一方、映画『スノーホワイト』(2012)の話をする。
ちなみにあと、浦嶋太郎も研究している。こっちがハリウッド映画になることは…ないな。
なぜ白雪姫を?とよく聞かれるが、それは虐待の話だからだ。もう少し言うと、「性的な対象としての肉体は誰のもの?」というテーマがそこにある。
女の子が、自分で自分の生きかたを選ぶことよりも「ただ美しくあれ」と願われて生まれてくる。それでいて口では願われる美しさが、無言で妬みの対象となっている。これはダブルバインドと呼ばれる虐待的状況である。
そんな虐待童話を真面目に映像化すると、ホラーかAVになる。実際ハリウッドには、シガニー・ウィーバーが演じた『スノーホワイト』という作品もあり、そちらがほぼホラーであった。また「白雪姫」「スノーホワイト」の名を冠したアダルト・ビデオはいくつもあり、それらは白雪姫の本質をむしろ捉えていると思われる(無論私は、「研究」のために観る。やむなく)。
他にも我が家は白雪姫を描いたレディースコミックだらけである。ジョン・ベネ事件や映画『トーク・トゥ・ハー』なども白雪姫の物語であり、私の関心の対象となる。
白雪姫は昔の話だからお妃様も本来は10代だろう。いっぽう白雪姫は7歳とグリム童話にははっきり書かれている。幼い者の美人投票の話なのだ。
だから「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ?」これを毎年ファンに向かってやっているアイドル団体も白雪姫たちである。センターを勝ち取る娘は白雪姫であると同時に、そのままお妃様に転じる。10代そこそこで「世代交代」なんて言葉まで使われる。
ちなみに子供の虐待については、愛と憎しみの入り交じった『白雪姫型』と、そもそも愛情が乏しい『ヘンゼルとグレーテル型』の2タイプがあるなと思っている。(この2つを分けることにどこまで意味があるかはまだ何とも言いがたい)
2012年版『スノーホワイト』は、これまでの白雪姫をどう変えてくるかが見ものであった。おとぎ話は、「従順な女の子を描くことで女性ののありかたを規定する」と批判までされてきた。そんなものを原作にするのである。最近のハリウッドのポリティカリー・コレクトネスを考えれば、そのまま描かれるなんてことがあり得ないのは観る前から予測された。
虐待は昔からあったから、白雪姫は一般庶民に起きた話がオリジナルであると思われる。つまり語り部が庶民の女の子の悲劇をお姫様のお話に飾り立てた。次にグリム兄弟が、虐待する実母を継母に変えた。ディズニーは復讐劇を、愛の物語に変えた。時代とともに白雪姫は美化されていく。
では、ハリウッドは?いよいよ映画を見ると・・・
なんとハリウッドは……白馬から王子様を消したのである!
それは象徴的であった。だれも乗っていない白馬が現れたのだ。やったあ!
他にも、「女性が自分の人生を切り開く」はテーマの前面に押し出されている。
それを象徴していたひとつが、女王のラヴェンナには「爪」が武器であったことだ。いっぽう白雪姫においては牢から出るときに「釘」が利用された。自分の人生を切り開く道具になったものがどちらも" Nail "であったことは意図的な対比を演出したのではなかったかと思われる。
さて女性が自立しようにも、男性と同等の教育も期待も受けていないのだから、男のように簡単に自立はできない。映画では白雪姫が馬も剣も簡単に使いこなすが、そんな容易にはいかないだろう。
さてその点を補う人物が必要である。足りない生活技術を補うだけではなく虐待に病んだ白雪姫を治療する役割をも担うことになる。しかもハリウッド映画であるからロマンスの部分も埋めるであろう。となればやはり男だ。それはどんなやつか。
お姫様と相性がいいのは飲んだくれと決まっている。出た、ハンター!
毒リンゴを食べた後は、白雪姫は観られる対象になる。そこに主体性があるか、肖像をどう使うかで、ガラスの棺に陳列されるアイドルにも民衆を鼓舞するジャンヌダルク、アウンサンスーチー氏にもなる。映画の白雪姫は急速にカリスマになり、自分の人生の手綱だけでなく、国のリーダーシップまで取る。きれいだとか、オーラがあるとかって重要だ。
ただ役者としての迫力は、ラヴェンナ女王役のシャーリーズ・セロンが白雪姫役をはるかに凌いでいたと思われる(続編では白雪姫も病んで脇役に堕ちてしまうほど)。ってか美しすぎ!それが私としては大満足である。どう考えたって、白雪姫はお妃様視点の物語であったからだ。
ラヴェンナ女王は、これまでのお妃様と違って「美」そのものに囚われているのではなく、それが力であることを強く意識していた。他人を押しのけて這い上がる「食うか食われるか」を生きていた。文字通りに考えればカニバリズムを意味する "A life for a life"というセリフにも、彼女の生存戦略が秘められていただろう。
なんて語りだすときりがない。ひたすら白雪姫を考えてきた私の前に現れた、現代という時代に規定され見事にそれに応えた白雪姫映画は、私にとっての最高傑作であった。