【長編小説】 初夏の追想 24
その後、私は山を降りた。犬塚家の人々がそれからどうなったのかは知らない。
胃潰瘍の症状は、もうすっかり良くなっていた。祖父はいたわるような目で私を見、この先頑張るようにと言葉をかけて、送り出してくれた。
最後に祖父と交わした会話のことを、いまになっても私は細部までよく覚えている。
――出て行くときふと見ると、いつもの窓辺の画架に、まだ完成を見ない絵が架かっていた。それは犬塚母子の肖像画で、何度も潰しては描き直した跡があった。画布の上に重ねられた絵具は、相当厚いものになっていた。この夏を通して、祖父は彼らの肖像とひどく格闘しているようだった。
「苦戦しているようですね」
私が言うと、祖父は、困惑したような溜息をひとつついた。
「今回はな、なかなか上手くいかん」
そして片手で目をゴシゴシとこすりながら絵筆を取り、画架の前の椅子に座ると、上目遣いに目の前の絵を睨んだ。
「お祖父さんのようなレベルになっても、そんな風に制作に悩むことがあるんですね」
私は興味を引かれて言った。世界的に名を馳せる一流の画家である祖父のそんな姿を見るのは意外だった。
「……芸術とは、いつだって迷いや葛藤との闘いだよ」
遠い目をして祖父は言った。
「特に、この母子は、私にとって特別な対象だ。この二人を描いていると、色々なことを考えさせられる。イメージや念が、次々に湧いてくるんだ……。ときには幸せな気分になるし、また別のときには心が痛む。……それは特に、彼らの顔のせいだ。お前も感じているだろうけども、彼らの顔は、美しい。絵画向きだ。画家の制作欲を刺激して止まない滅多にない素材だ。でも、それと同時にとても厄介でもある。……あの顔はメッセージを含んでいる。二人とも、そっくり瓜二つの顔をして、そのメッセージを画布の上に寸分の狂いもなく表現して欲しいと、私に迫ってくるんだ……。その視線に込められた念が、私を揺さぶり、苦しめるんだよ」
「……お祖父さんと犬塚夫人は、仲違いしているわけではないのですか?」
モデルをしていたときの犬塚夫人の表情を思い出して、私は素朴な疑問をぶつけた。それは、ここに来て彼女と関わるようになってから、ずっと気になっていたことでもあった。犬塚夫人が守弥を連れて訪ねて来ていたころ、祖父は決まって彼らを避けるようにそそくさと制作に逃げて行くように見えた。
「仲違いだなんて、そんなわけはない。昔は……」
祖父は言い淀むと、はっと何か思い出したように口を閉ざし、黙り込んでしまった。
「昔はよく話していた?」
私が聞くと、黙ったまま頷いた。そして言った。
「仲違いではない。断じて。ただちょっと、意見の相違があっただけだ……」
と祖父は言った。
私はそれを理解することができるような気がした。確固たる考えを持ち、自分をあれだけ強く主張できる犬塚夫人のことだ。いつかの時点で祖父と口論になったとしても不思議ではない。そしてそのあとの気まずさを自覚していたとしても、平然と変わらぬ態度でこの離れに出入りしていたというのも、いかにも彼女らしいことだと私は思った。
「私のような者は、夢幻にかまけていてもいい。それは芸術家の特権だ。でも、そうでない人は、現実の中に身を置いて生きていかなければならない。是非そうするべきだ。かつて私たちは、ある共通の〝芸術〟を持った。彼女はそれを私と分かち合っていきたがったけれど、でも私にはそれができなかった。……人生には、欲したものをどうしても諦めなければならない瞬間というのがあるものだよ。それに、私には芸術があった。むしろ、自分の芸術以外のものを、私は欲しくなかったのかもしれない。……エゴかもしれないが、私は自分の芸術を冒すものを、何ひとつとして許すことができなかったんだ」
そう話したときの祖父の表情は、穏やかだった。その言葉遣いは曖昧で、謎めいていたが、ぼんやりと何かの輪郭を成すようにも思えた。けれどそのとき私には、それが何なのかわからなかった。
そのときの祖父の顔を、私はその後長いこと忘れられなかった。それは、変わり者と言われる画家の頑なさの滲み出た顔のようでもあったし、悩み苦しみ抜いた末に、思い切って決断をした人の潔い顔のようにも見えた。
――私は、篠田の名刺をつてに彼と連絡を取り、以前彼の勧めてくれた美術館学芸員の助手の仕事に就いた。篠田は快く私をその美術館の館長に引き合わせてくれた。新しい職場は私にとって非常に心地良く、上司である学芸員は私の持つ絵画の知識を重宝がってくれた。彼と私は絵画の趣味が合い、いくつもの展覧会の企画をともに成し遂げた。私は初めて仕事というものに生き甲斐を感じ、自分の本当の居場所を見つけたような気がした。
――それ以来、私は定年を迎えるまでその美術館で働いたが、そこで一度だけ、守弥の消息を聞いたことがある。
ある年、私の勤める美術館で柿本の個展を開くことになった。彼は、静謐なタッチで人々を魅了する写実主義の画家として広く世に知られるようになっていた。柿本は話してくれた、あの翌年、守弥が私を描いた肖像画が認められ、彼がフランスへ渡ったことを。けれどそのあとのことは彼も知らなかった。活動するフィールドを異にするようになった彼らは、自然と連絡を取り合わなくなったという。
私は、パリに降り立った守弥にふと想いを馳せた。モンマルトルの丘を散策し、モンパルナスのラ・ロトンドやル・ドームで往年の画家たちの気配を感じながら休憩する彼の姿が目に浮かんだ。……彼はどんな画家になったのだろうか。パリの生活は、彼の作品にどんな影響を与えたのだろうか。