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【縣青那の本棚】 秋津温泉 藤原審爾

これも、『異邦人』同様、若い頃、確かまだ20代だったとおぼしき時代に文庫本を買い求め一読した作品。その後、30代になってから一度、あるひなびた温泉地に滞在していた折に再読したことがあった。なので、今回は3度目ということになる。

何度読んでも飽きない作品である。作中、幾度となく繰り返される〝秋津の不思議と澄んだ透明な空気〟という言葉がいざなう落ち着いた美しい世界は私の心の底に静かに横たわっていて、いつでもじっとのぞき込めば、水底に沈んだ遺跡のように、いつも同じ雰囲気をたたえた静謐せいひつなイメージを見せてくれる。

けれど、その世界があまりにも美しかったせいか、物語自体の内容が、前に2回読んだ時には正直よく飲み込めていなかった。まず主人公(河崎周作という)が結核を病んでいるということが私の頭には入っていなかったし、カリエスを病んでいた(何故かカリエスという言葉だけは鮮烈に覚えていた。病名がはっきり出ていたからだろうか?)周作の初恋の人である直子さんは、結局その後どうなったんだっけ……? と、記憶が非常に曖昧あいまいだった。

*ちなみにカリエスとは、結核菌が脊椎へ感染した病気のこと。脊椎カリエスと言われる。肺結核など結核性の病気にかかった後発病するもので、20歳代に発症しやすいらしい。

初めて出会った時、主人公も直子さんも同じ17歳。こんなに若くして、結核の後に発症するというカリエスを患っている直子さんという少女の悲劇性は深い。


ただ、秋鹿園の娘でのちに女将さんになるお新さん(新子さん)の明るく健康的なイメージと、物語の終わりの方で繰り広げられる、激しい男女の情のぶつかり合いと絡み合い、そして何よりもまるで絵画のようなラストシーンの情景は、まるで夢を見ているように美しい。
主人公とお新さんが夜が白々と明ける頃になって二人で離屋の湯舟に浸かり、〝想い〟を遂げたお新さんが小窓から山肌を染める淡紅の朝焼けを見つけて嬌声を上げ、そんなお新さんの白い肩越しに主人公も又朝焼けを見つめた時、その朝焼けの紅が秋津の空に広がって終わるラストシーン。
これが私の中で小説『秋津温泉』の最も鮮烈な印象なのである。

物語は全体を通して、重苦しいテーマに満ちている。
二親ふたおやの無い境遇の孤独、病による人並みの人生への諦念、戦争、貧苦、叶わぬ恋、結ばれぬ運命の男女……。
物語の筋を追うよりは、一話一話に描写される情景を、頭の中で絵や映画のように描くことでの方が楽しめる小説だと思う。それほどに登場人物達の辿る現実は、容赦ないシビアなものなのだ。

主人公の周作が本当に心から幸せを感じる瞬間というのさえ無いのだが、そのラストのくだりでは、男女間の苦しい葛藤を越え、長らく引き延ばされていた決着がひとまずとは言えついて、周作が心の内で思うように、〝秋津の澄んだ空気〟の中では、そんな全ての悩み苦しみが、〝清浄な人間の祈り〟のようなものになって、ただただ大自然の中に昇華する。これはすごいカタストロフである。

そして、文庫本の解説を書いている小松伸六氏も言っているように、この小説の真の主役は、物語を通じて根底に流れ続ける〝秋津の不思議と澄明な空気〟なのかもしれないとは、私も読みながら感じたことだった。

この澄明な空気こそ、最後の最後に主人公を救い、かつこの小説の世界観を構築している本体に他ならない。この秋津の空気の持つ不思議な特殊性は、小説を読んでいる者にも届いてきて、自らその感触を味わいにその土地に出向いて行きたいという気にもさせられる。
勿論、秋津温泉は、小説の中の架空の温泉地である。だがそれゆえに、私はこの小説『秋津温泉』を何度読んでも飽きることなく、将来も又繰り返し再読するだろうと思うのだ。


もしかすると、この作品の主人公は<私>ではなく、秋津温泉という架空の山峡の澄明で静寂な温泉の気配、、が主人公であるかもしれない。

『秋津温泉』 解説 小松伸六 より

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