映画『お母さんが一緒』感想 血筋=呪いの和製『ヘレディタリー』
ホームコメディではなく、ホラーなのでは? という疑問が離れませんでした。映画『お母さんが一緒』感想です。
劇作家であるペヤンヌマキさんの同名演劇を原作として、『ぐるりのこと』『恋人たち』で知られる橋口亮輔監督が映画化した作品。CSチャンネルが製作したドラマシリーズを、再編集して長編映画としたものらしいです。
傑作だった『恋人たち』から9年振りの橋口監督作品ということで、もっと話題になってもいいのではと思っていたんですけど、やはりドラマの再編集だからなのか、ひっそりとした上映になっていますね。ともあれ、チェックしておこうと観てまいりました。
温泉旅館内というほぼワンシチュエーションで、三姉妹(プラス1人)の会話劇という設定は、いかにも舞台演劇ぽいですね。脚本も橋口監督が手掛けているようですが、あまり元々の物語構成をいじっていないように思えます。基本的に原作に忠実な作りをしているみたいなんですよね。だから、物語そのものの雰囲気は、橋口監督作品の前2作のような重たいシリアスさは皆無です。
といっても、橋口監督らしさが失われているわけでもなく、そこは作家性というものが滲み溢れ出ているものにもなっているように感じられました。むしろ、物語自体がそれとは別種のものなので、その作家性が強く浮き彫りになっているようにも思えます。ただ、それが必ずしもこの作品にとってはプラスに働いているものでは決して無いとも感じられてしまうものでした。
いがみ合う姉妹の姿が、何だかんだと家族の範疇に収まっていくという王道のホームドラマのように描かれていますが、そのいがみ合う姿が度を超えたものになっているんですよね。この辺りは橋口監督の作家性が色濃く出た結果になっています。
『ぐるりのこと』『恋人たち』でも、もうこの人たちの人生には希望が無いのではと思わせるくらいに、絶望的な地獄描写、それもフィクションではなく、現実感を味あわせる徹底的にリアルな不快さを出していました。
それを、このホームドラマに乗せてきているので、かなりヒステリックな姉妹ケンカになっています。正直、殺し合いが始まってもおかしくないのではというくらい、互いを傷つける言葉が飛び交うので、ちょっと辟易してしまいました。本来では思わず笑ってしまうケンカのやり取りだったと思いますが、九州という土地柄による家父長制によるミソジニー的な思考、その抑圧から生まれた鬱屈を、同性姉妹へぶつけてしまう姿は、もう取返しがつかないものに思えてしまいました。
過去作では、そういう地獄を乗り越えて、心の平静さを取り戻す姿が感動を呼ぶものだったんでした。橋口監督作品自体が、時間が解決してくれるという展開が多い印象ですが、今作は温泉旅館の一泊の出来事に限定されているので、「ちょっと流石にその一晩では無理過ぎない?」と思ってしまうんですよね。家族だから一晩寝れば忘れるというレベルではない一線の超え方をしていると思います。
登場しない母親も、悪し様に罵られているわけですが、本当に良いところのない人間としか思えないんですよね。「家族なんだから」みたいな展開は、古い家父長制的な家族観に囚われた人々という見え方になってしまっているように思えます。
とはいえ、役者陣は達者な演技を堪能出来るものでした。江口のりこさんの弥生が忌むべき母親の姿に近づいていく変化、それに引きずられるような内田慈さんの愛美の姿は、まさに「家族とは呪い」というものを体現しているものです。
そして、この一晩のドラマで最も変化を見せるのが三女の清美であり、これを演じた古川琴音さんの演技もハマっているものです。一番、家族に批評的でありつつも、結局母親から始まった呪縛の取り込まれていく姿は、家族関係でいかにもありそうと思わせるものでした。
青山フォール勝ちさんの「わかってない」男性演技も良いですね。それほど演技論を持たない芸人だからこそ、あの雰囲気が出せたのかもしれません。一応、このタカヒロの無自覚さが救いとして描いているようですが、古い男性性の封建的態度も無自覚さによるものなので、この後も救いになるのかが疑問ではありました。
製作の目的はわかりませんが、この作品はアリ・アスター監督『ヘレディタリー』のホームドラマ版になっているように思えます。家族という呪いから逃れられない超恐怖的展開になっているのに、それに気付かせないコメディ演出は、ある意味で『ヘレディタリー』よりも恐ろしい描き方をしているように思えました。
どうしてもこの家族のその後が、あまり平穏なものになるところが想像出来ませんので、ちょっと背筋が寒くなるような感触ある作品でした。多分そういうつもりで作った物語ではないのでしょうけど。