映画『ナイトメア・アリー』感想 歪つで奇形ではない人間など居ない
クリーチャーは出て来ずとも、ギレルモ・デル・トロ感は満載。映画『ナイトメア・アリー』感想です。
ウィリアム・リンゼイ・グレシャムの小説を原作として、ギレルモ・デル・トロが監督した作品。デル・トロ監督はカルト的な作風ながら、前作『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞と監督賞を獲っており、世間的にもビッグネームとなっている監督ですね。
特殊メイクで人外の者や異形の者を表現することに執着していて、『シェイプ・オブ・ウォーター』は、そのカルト的な世界観とロマンチックな恋愛物語が見事に調和していた作品でした。
最新作となる今回の映画では、舞台は第二次大戦前のアメリカで、割とおどろおどろしい人外の化物が出てくるような世界ではないんですよね。ただ、見世物小屋で登場する異形・奇形の人々や、象徴的に扱われるホルマリン漬けの胎児などは、いかにもデル・トロ流のカルト的世界観です。江戸川乱歩の小説のような世界観があります。
ただ、その見世物小屋の人々が恐ろしく醜いかというと、決してそんなことはないんですよね。あくまで通常のコミュニティとして生きる人々という印象に段々と変わっていきます。
その対比が後半部分になるんですけど、スタンとモリーが一座を出て、ショウビズ世界で伸し上がってからの世界は、完全にセレブたちが住む場所であり、いわゆる異形の人々とは全く違う場所となっています。そして、その上流の人々が美しいかというと、やはりそんなことはなくて、それぞれ何かしらの部分で歪んだ心や傷を持っているという姿が描かれています。
セレブたちの闇というのは、見た目の華やかさとのギャップもあり、より強烈に感じられます。前半のカーニバル一座のおぞましさが、むしろ憧憬に思えてくるんですよね。
そのおぞましさの象徴がリリス博士というキャラクターですが、ケイト・ブランシェットが持つ「ケイト・ブランシェット力」を全開モードにしたような演技ですね。こんなに最初からヤバそうな女と、何で手を組むんだよとツッコミたくなるほど、妖しさが全開でした。
リリス博士は、スタンが追いかけていたと思われる「母親」の代理のような存在ですね。この存在がスタンの過去の罪を暴く役割を持っているんですけど、スタンの過去に何かしらの罪を犯しているのは、冒頭から明らかだし、何となく内容も想像が付くんですよね。それにしては、終盤まで引っ張るような明かし方する見せ方なのは、少し冗長に感じられました。
むしろ、リリス博士がどんな歪な傷を抱えて、スタンに何を求めていたのか、はっきりとするようなシーンが欲しかったと個人的には感じました。
『シェイプ・オブ・ウォーター』では、デル・トロが愛してやまないおぞましい姿のクリーチャーを、ロマンスで美しく魅せるという価値観の転換を図った作品だと思いますが、今作でも、見世物小屋の外見のおぞましさを、セレブリティの内面のおぞましさに置き換えるという転換の作品になっているように感じました。人間は誰しもが歪で異形の者、奇形でない者などいないというメッセージに思えます。
クライマックスに、銃で撃たれて負傷する場面がありますが、耳に当たって千切れ飛ぶという演出も、その表れだと思います。普通、死なない程度の銃撃描写って、手足か脇腹辺りだと思うんですよね。「欠損」という歪さを演出したかったのだと感じました。
2時間半の長丁場で、結末までの予想がはっきりとしてしまう伏線の物語は、さすがに単調な感じは否めませんでしたが、ラストの因果応報さはそれを補って余りある見事なものでした(終盤で酒を渡されたスタンに声をかける男も、クレムですよね)。
ラストシーンのスタンの泣きながらの笑顔、ちょっと普通の演技で出てくるものではないですよね。前半のダンディな姿はカッコイイ雰囲気だけの男という感じでしたが、ここのブラッドリー・クーパーの演技が観られただけでも、充分に作品の価値はあると思います。デル・トロ作品の質の高さを見せつける1作でした。
余談ですが、ルーニー・マーラは美人過ぎて、どの作品観ても「こんな男のどこが良かったのか?」という気持ちにさせられますね。