映画『若き見知らぬ者たち』感想 行き場のないしんどさだけが残る
この辛さがどこから来たものか、今一つ判然としませんでした。映画『若き見知らぬ者たち』感想です。
『佐々木、イン、マイマイン』で一気に高評価を得た内山拓也監督による商業長編デビュー作品。2020年の『佐々木、イン、マイマイン』は、その年のベスト作の1つであり、今でも思い出しては涙が浮かぶほどの名作であったので、内山監督の新作とあらば観ない手はありませんでした。
ということで、喜び勇んで臨んだのですが、ちょっと予想以上に重たいテーマというか、しんどい展開の連続にぐったりしてしまいました。
早くに父親を亡くし、母親の介護(何の病気かは明示されませんが、重度の精神疾患のような描写)をしている姿を見ると、いわゆる「ヤングケアラー」と呼ばれる状況が、大人になるまで続いてしまった人を描いているようです。ただ、そこを社会的問題として描こうとしているよりは、この彩人という青年個人の人生を描くものとしているように思えます。
基本的に情報を小出しで見せるという演出のため、状況把握がままならないうちに中盤以降で大きな事態が起こってしまうのですが、ちょっとストーリーテリングとして致命的な作りに思えます。ずっと介護生活の限界状態を見せられ、何故彩人が行政に頼ろうとしないのか、明かさないまま観客にフラストレーションを与え続けたうえでの、さらに不幸というものなので、不運で可哀想という感想しか湧かないんですよね。もう少し彩人や周囲の人々、その状況に感情を抱く余地がないと、悲劇としも受け入れづらいものがあります。
起こる悲劇としても、これまで最大限の不幸が続く中で、さらに「それはちょっといくらなんでも」というものなので、ゲームで例えるのはアレですが、「クソゲー過ぎやしないか」という気持ちにしかならないんですよね。社会に問題があるとか、世の中の人々の心が腐敗しているとか思ってもらいたいのかはわかりませんが、怒りよりも、この状況が無理過ぎて、不幸としてもリアリティが感じられないものになっています。
今年の話題作『あんのこと』にも通じる空気はあるのですが、あの作品が様々な要因の積み重ねによって結果として悲劇が起こるのに対して、本作はまず結果を描こうとしてから要因を配置しているような作劇に見えてしまい、あまり現実味が失われているように思えました。
特に行政から弾かれている描写もないし、社会の歪みを描いているようで、そうではないように思えてしまいます。一応、亡き父が警察官であったこと、それを辞めた要因を示唆する場面が終盤にあり、この罪悪感から行政に頼ることをしなかったのかもという想像をしましたが、それにしても描写不足と言わざるを得ません。
要所要所での演出は、印象に残る部分もあるんですよ。火葬される棺の中と、減量のためにサウナスーツを着て横になる場面を重ねるのとか、2回ほどある自ら頭を銃撃する場面が、どちらも本人の願望を表現したものであるとか、心情や背負う想いを言葉ではなく映像で表現した映画的なものになっています。クライマックスでたっぷり見せる総合格闘試合前に、「背中」を見せる演出も、『佐々木、イン、マイマイン』での演出と通じる場面になっています。
ただ、それらが全て、作劇部分と上手くリンクしないんですよね。結局のところ、この不幸や悲劇を通じて、何を見せたかったのか、現実をどう変えようとしているのか、メッセージが伝わってこないんですよ。
この悲劇の中でも、美しい瞬間や幸せがあったという部分も、正直あまり見えて来ませんでした。献身的に支える恋人・日向との関係性も、ある意味では破綻しているように見せている気もするし、彩人が辿り着こうとしていた大和の結婚を祝うパーティーですら、若干バカ騒ぎしている若者に見えてしまい、あんまり良い瞬間が無いんですよね。
『あんのこと』がショックを与えつつも、悲劇に美しさを内包していたのに対して、今作については内包も外包も傷みでしかないように思えます。内山監督の自傷行為のような作品に思えてしまい、ちょっと監督の精神状態が心配になってしまいました。とはいえ、まだまだ若い方なので、これからの作品に期待したいと思います。