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映画『陪審員2番』感想 正義と人生生活の狭間で

 2025年の映画初めは、初の配信作品感想。出来れば劇場公開して欲しかった。映画『陪審員2番』感想です。

 ジャスティン(ニコラス・ケンプ)は、間もなく出産を控えた妻・アリー(ゾーイ・ドゥイッチ)と共に、慎ましくささやかな幸せの中にいた。そのジャスティンへ陪審員召喚状が届く。ジャスティンが陪審員として参加する事件は、ジェームズ(ガブリエル・バッソ)という男性が、恋人のヨランダ(エイドリアン・C・ムーア)を殺害したと疑われる事件だった。雨の日に、バーで2人が痴話喧嘩を繰り広げていたのは多くの人が目撃しており、ヨランダがその帰り道に、道路下の河縁で遺体として発見された状況からして、ジェームズの犯行と思われていた。だが、その状況を聞いたジャスティンの脳裏には、同じ日、自分がそのバーに立ち寄り、雨の帰り道に車で何かを撥ねた記憶が蘇っていた…という物語。

 名俳優であり、名監督でもあるクリント・イーストウッドによる最新監督作品。御年94歳という事実を考えると、もうこれが最後の作品になってもおかしくないというのは、不謹慎でも何でもなく事実なわけですが、今作は各国でも劇場公開している所は少なく、現時点の日本でも劇場ては予定がなく、配信サイトU-NEXTでの配信公開という形を取っています。
 そりゃあ、超大作ではないし、はっきりいって地味なヒューマンサスペンスドラマではありますが、これだけ映画界に貢献したイーストウッドの新作が、劇場公開が無いという事実に、多くの映画ファンがいきり立っています。昨年からU-NEXTを利用し始めたところなので、自分は幸運にも堪能が出来ましたが、やはり劇場で観たかったという口惜しさが残っています。前作『クライ・マッチョ』で感じた衰えを吹き飛ばす力作だと思います。
 
 ベースにあるのは、名作『十二人の怒れる男』で間違いないと思われます。陪審員たちによる審議を軸に、それぞれの倫理観、正義感が交錯して変化していく法廷劇というスタイルは全く同じです。ただ、『十二人の怒れる男』が1つの真実と正義を目指していくのとは違い、今作は、真実も倫理観も正義も、全てバラバラの方向に向かってしまうドラマになっています。
 主人公のジャスティンが倫理観と正義に従い、ジェームズの無罪を主張しようとしながらも、自身の過失が問われるのは避けようとするという、いわば矛盾的な行為が軸としてのドラマになっています。これにより結末が最後まで見えないサスペンスとしてのエンタメ性になるし、人間そのものを描く巧みなドラマとしても評価できるものだと思います。
 
 基本はジャスティンの葛藤がメインとはなるものの、他の陪審員たちの思考や立場の違いも、サイドではきっちり描かれているのも効果的です。J・K・シモンズ演じる元警察官が、事件の不審点にいち早く気付き、当人は自覚のないままジャスティンを追い詰めるのもスリリングだし、有罪を主張するマーカス(セドリック・ヤ―ブロー)が、ただ短絡的なキャラとしてではなく、そういう主張をする背景が描かれるのも、きちんと物語に奥行を与えるものになっています。
 
 そして、検察側のフェイス(トニ・コレット)が判事としての地位確立を目の前にした事件という状況はベタなキャラ設定ではありますが、あくまでフェイス自身は、そこまで権力欲に溢れた悪徳キャラではなく、女性をDVから救うための活動をしているリベラル側の人間であり、事件の不審点について気付いてからは、自分の足で調べる正義感と倫理観を持ち合わせているというのも、ジャスティンとは別の形での矛盾を孕んだキャラクターとして描いているように思えます。序盤で、ジャスティンと何気ない触れ合いが描かれるのも、その後で対立する立場でありつつ、実は同じ葛藤を抱えることを示唆しているんだと思います。イーストウッドらしい、シンプルでわかりやすい演出だけど、こういうの効果的だし好きなんですよね。
 
 ジャスティンたちの葛藤や、罪悪感と正義感の両立で描いているものは、何も特殊な状況下での出来事ということではなく、誰もが陥る正義と悪事の狭間なんだと思います。『十二人の怒れる男』では、覆い隠される真実を暴くことが正義として描き、そこに感動が生まれるものだったと思いますが、現代では、真実を白日の下に曝すことを正義という考え方もあれば、それを正しくないことと考えてしまう袋小路のような状況が生まれてしまいます。妻のアリーが身重である状況では、ジャスティンが一概に真実を吐露するわけにもいかないというのは痛いほどわかるものになっています。
 
 終盤でのフェイスとジャスティンの会話シーンで、銅像の天秤が揺れるショットがありますが、先述したようにイーストウッドの非常にわかりやすい映画表現であり、ある意味でポップさにも繋がる手法ですね。物足りないという人もいるでしょうけど、やはりこのわかりやすい巧さみたいなものが、この監督の持ち味だと思います。
 唐突に暗転するラストも、ぶった切ることで逆に余韻を与えてくれるものになっており、この作品が突き付けた問いをいつまでも考えてしまうものになっています。法としての正義を優先するか、生存のための生活を続けるという正しさを優先するかということは、観た人の状況によって変わるものかもしれません。昔のアメリカであれば、社会が定めた法を最優先にするはずですが、現在の混沌とした生活の中では、そんな模範的なことは言っていられないのかもしれません。そしてそれは、アメリカだけでなく、日本でも同じ状況に思えます。
 
 94歳にして、これほどきちんとした問いかけを提示して、作品にまとめ上げるイーストウッドは、やはり映画界に名を残す巨匠だと思います。配信でひっそりと有終の美というのはあまりにも寂しいですよね。駄作でもいいから、もう1作品でも劇場公開のものを期待したいと思います。


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