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映画『オオカミの家』感想 狂ったアートで表現する狂った支配構造

 鑑賞後の恐ろしさも強烈ですが、後日調べたバックグラウンドのおぞましさも強烈。映画『オオカミの家』感想です。

 チリ南部にある移民のドイツ人たちが暮らす集落。そこに暮らす美しい娘・マリア(声:アマリア・カッサイ)は、怠けていることを責め続けられるのを苦にして、集落から脱走し森を彷徨う。空き家となっていた一軒家に逃げ込んだマリアは、そこに残されていた子ブタ二匹をペドロとアナと名付けて、慈しみ育てる。やがて不思議な蜜の力によってペドロとアナは美しい人間の子どもとなり、3人は家族のように幸せな生活を続ける。だが、遠くから聞こえるオオカミ(声:ライナー・クラウゼ)の声に、マリアはいつも怯え続けていた…という物語。

 チリの、クリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの2人組監督によるストップモーションアニメ映画。日本ではアリ・アスター監督が絶賛したという触れ込みで、公開前から話題となっていましたが、本国では既に2018年公開の作品であり、日本に届くまでは結構時間を要したみたいですね。
 ストップモーションアニメというと、堀貴秀監督の『JUNK HEAD』が連想されますが、あの作品も狂った傑作なんですけど、今作はまた別方向に狂った傑作になっています。

 人形をコマ撮りで動かしていくスタンダードな手法ではなく、壁のペイントアートが描かれていくのをコマ撮りにして、カメラを動かさずに、映像が動くというアニメにしているんですよね。何度も塗りつぶされては、その上から描かれるという執拗な動画になっています。人形も使っていますが、それも幾度も形を変えて、解体しては造り変えられていくのを動きにしたスクラップ&ビルド的な表現になっています。
 この手法が執拗な狂気になっていて、物語の方にもある狂気性とリンクしていくのが、恐ろしさの演出になっているように感じられました。

 この物語で何を描こうとしているか、その背景については、全く調べずに鑑賞に臨んだのですが、事前に知らずとも、マリアとオオカミの関係が虐待されるものと、支配するものとの関係性になっているのが感じ取れるようになっています。そして、マリアがペドロとアナを慈しんでいつつも、何となく支配するような関係性になっていくのも感じ取れるような演出になっています。この辺りも、虐待されて育った人間が、同じことを繰り返してしまうというメタファーになっていますね。

 今作で描かれている、チリにあったドイツ移民の集落というものが実在していたもので、「コロニア・ディグニダ」というものなんですよね。ナチス信望者であり、小児性愛者であるパウル・シェファーが設立したそのコロニーで行っていた事件のおぞましさは、筆舌しがたいものでした。観終えた後に何が描かれていたのかを調べて知る事で、二重にそのおぞましさを味わうことになります。
 図らずも、ジャニー喜多川の行為が世間の話題となっている2023年のタイミングで日本公開されたというのも、運命の悪戯を感じさせますね。良いのか悪いのか、まさにジャストなタイミングになってしまっています。

 この現実にあったおぞましい狂気が、執拗なこだわりで描かれる映像の狂気とリンクしていくことで、アート作品でありながらも美を感じさせない世にもおぞましい作品になっています。異常性欲による恐ろしさというよりも、支配するものの欲、差別をしようとする欲の恐ろしさを感じさせます。今作で描かれている結末も、支配構造の恐ろしさを味わうもので、社会の仕組みから狂っていることを思わせられました。

 物語としては決してわかりやすい表現ではなく、かなり尖った映像表現になっていますが、ここまで話題になっているのも驚きですね。今作が求められているという事実も、様々な方面で不穏な空気が蔓延する現在を、一番表現しているのかもしれません。今作が恐ろしいものを描いているということは忘れずにいたいと思います。


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