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映画『茜色に焼かれる』感想 このクソみたいな世界の片隅に


 観ていて、かなりストレス溜まる作品ですが、尾野真千子の暴発は絶品。映画『茜色に焼かれる』感想です。

 スーパーの花屋のバイトと、ピンサロで働くシングルマザーの田中良子(尾野真千子)。彼女の夫である田中陽一(オダギリジョー)は、7年前に元官僚の老人によるアクセルの踏み間違いで理不尽に命を奪われていた。賠償金も拒否して、誰も恨もうとせずに生きる母親の姿は、息子の田中純平(和田庵)にとって誇りであると同時に、不可解なものでもあった。コロナ禍により破綻したカフェ経営を再開すべく、地道に働き続ける田中良子であったが、世の中の理不尽な悪意は、容赦なく母子を襲い続ける…という物語。

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 日本アカデミー作品賞の『舟を編む』や、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』などが代表作の石井裕也監督によるオリジナル作品。石井監督作品は、商業デビュー作の『川の底からこんにちは』が特に好きでした。
 『川の底からこんにちは』では、ものすごくロウな現実から始まり、それをぶち壊すハイな痛快劇が印象的だったんですけど、『夜空はいつでも~』辺りから、そのロウな部分を、よりリアルな社会問題として描く方向にシフトしたという印象がありました。今作でも、その延長にあるような作品だと思います。

 主演の尾野真千子さんは、もはや言わずと知れた大女優なんですけど、この尾野真千子という名優ありきで書かれた映画脚本のように思えます。
 尾野真千子さんは、我慢に我慢を重ねた上で吐き出される感情を演じさせたら、右に出る人はいないと思うんですよね。『そして父になる』での、口をひん曲げながら「あなたを許さない」と夫を責めるシーンや、『ヤクザと家族』での号泣しながら別れを懇願するシーンなど、作品の評価は別にしたとしても、物凄く印象に残る名演だと思います。今作品ではその演技を引き出すための物語のように感じられました。

 冒頭に「田中良子は演技が上手い」というテロップが出てから物語が始まるんですけど、これが非常に巧みな布石となっています。これがあることで、序盤の田中良子の立ち居振る舞いは、全て演技なのではという疑いの意識が観客に植え付けられる事になり、その裏側の心情を読み取ろうとして、尾野真千子さんの一挙一動に集中することになります。

 前半では、生贄になるアンドロメダの如く、社会の理不尽に晒される田中親子の姿が描かれるわけですけど、この時の田中良子は、菩薩であろうとしているというか、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』的な人間であろうとしているというか、何もかもを受け入れて生きようとしていたと思うんですよね。全てを赦して、希望的な諦めの境地を目指しているように見えました。
 それを貫き通せられれば、それはそれで人間的に美しい生き方だと思うんですけど、理解できない周囲の人間からは、狂気的な印象を持たれているし、実際、観客から見ても、高潔な生き方というよりは、若干のサイコパス味があるような見せ方をしているようにも感じられます。

 そこで活きてくるのが、「芝居が上手い」の布石なんですけど、中盤以降にそれらが全て痩せ我慢だったことが描かれ、尾野真千子特有の感情が暴発する演技が光る所からが、この物語の本質なんだと思います。
 ここから、田中良子の本音、怒りが吐露され、序盤の菩薩のような顔から、圧倒的に本当の言葉が吐き出されていく姿で、序盤のストレスをぶち破る構造にしているのが狙いなんだと感じました。

 その姿を引き出すためにお膳立てとして、社会的弱者である良子に対する、あらゆる理不尽、女性であることだけで、搾取しようとしてくる群がってくるクズのような男たちが描かれているわけですけど、これがあまりにも極端過ぎて、逆に興醒めした部分もあったんですよね。
 描こうとしている悪意は、確実に現実世界にもあるものだとは思うんですよ。けれども、現実の悪意は、もっと周到で、加害者は自分の悪意に気づかないまま、その言葉を吐いていたり、ともすれば被害者側も気づかないまま傷ついていたりするものだと思うんですよね。
 バイト先のスーパーの店長が上からのプレッシャーで悪意を向けるという切り替えも早すぎるし、亡夫のバンドメンバーの滝(芹澤興人)がクソなのも、何で今でも人間関係続けているんだろうかと思ってしまいました。
 比較するのは良くないんですけど、こういう悪意の描き方では『あのこは貴族』での悪意ない差別意識の描き方の方に軍配が上がってしまいます。あちらの方がかなり抑えめな描写でありながら、しっかりと胸糞悪くさせてくれたんですよね。わかりやすさで言えば、今作の方が上なのかもしれませんが。ストレートにこの社会の醜悪さを描くということは、それだけ石井裕也監督がこの世の中にクソほど怒りを感じているというのは、充分に伝わってきます。

 良子とシスターフッド的に連帯するのが、風俗店の同僚のケイ(片山友希)なんですけど、この片山友希さんの役がすごく良いんですよね。そんなに器用ではない演技だと思いますけど、すごく印象的で、これからが楽しみな役者さんを見つけた感じです。
 息子の純平役の和田庵さんも、真っ直ぐな性根と童貞感を持つ中学生顔で、物語の救いになっていたと思います。ただ、体つきが意外と筋肉質で、いじめられっ子にはあんまり見えない肉体という難点もありましたが。

 物語は終盤で、ルールを守ってきた田中良子が、ルールを破ることで理不尽にカウンターを与えて痛快感をもたらそうとしています。自転車の件は、名作『自転車泥棒』のオマージュでしょうね。
 だけど正直、理不尽さと悪意のパワーが強すぎて、全然貫けていないんですよね。あれだけのカウンターパンチじゃ、全然気持ちが晴れないですよ。
 ヤクザの手を借りるのは倫理観としてアウトとか言う気は全くないですが、オレオレ詐欺の受け子に回すという報復は、それはそれで別な犠牲者を生むという事でもあるので、多少モヤッとしました。

 ラストでようやくタイトルの「茜色」の空が出てくるわけですが、自然光ではなく造られた映像での夕焼けだと思います。この映像が示している通り、リアリティある物語というよりは、現実問題を盛り込んだ寓話として受け取るのが正解なのかもしれません。


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