映画『悪い子バビー』感想 時を経て鳴らされたオルタナ映画
表層的な悪趣味さではなく、ちゃんと中身が正当に評価されてのリバイバル上映という、まさしく時代が追い付いた作品。映画『悪い子バビー』感想です。
ロルフ・デ・ヒーア監督による1993年に製作された映画作品で、当時のベネツィア国際映画祭では審査員特別グランプリを受賞されたそうです。ところが、当時の日本では劇場公開されず、VHSでの発売のみで、しかも『アブノーマル』という邦題を付けられたアングラ映画扱いだったそうです。
それが30年の時を経て、なぜ2023年に劇場公開されたのか、経緯はよくわかりませんが、絶賛の声も多く、その評判を聞きつけて観てまいりました。
観始めた段階では、逆『フォレスト・ガンプ』みたいな話だなー、なんて思っていました。『フォレスト・ガンプ』は純粋な主人公が周囲に刺激を与えて美しく輝いていくという物語でしたが、今作では、純粋な主人公が醜い周囲に刺激を受けていくという物語になっているんですよね。映画『フォレスト・ガンプ』は94年公開で、今作の後だから影響は受けていないと思いますが、原作小説だったら、ひょっとしたら影響があるかもしれません。
その『フォレスト・ガンプ』とは正反対なブラックユーモア、捻くれた社会諷刺で、どぎつく彩った前半を経ると、後半のバンド展開になってから、物語のアクセルが全開になりドライブしていく快感が生まれます。実は、良く出来たバンド映画なんですよね、この作品。
1994年の日本映画界では、確かにアングラ的なエログロ表現にしか思われなかった内容かもしれません。近親相姦を含めた性描写、どぎつい言葉、動物虐待などなど、当時の価値観では目を覆ってしまう場面のオンパレードです。
だけど、その価値観こそが、バビーの存在そのものを追い詰める「社会的規範」というものとして描かれているので、30年を経て劇場公開というストーリーが、良く出来た皮肉になっているように思えます。
人々がバビーの行動や言葉に奇異の目を向けるも、バビーはその人々から向けられた言葉を、幼児がマネするように繰り返しているだけなんですね。つまりはバビーから感じられる狂気性や恐ろしさというものは、現実社会の狂気性、恐ろしさというものから反映されたものになっています。
そのバビーが感動を覚えるのが、言葉よりも伝わる音楽芸術という展開によって、この作品が悪趣味アングラ作品ではない、きちんとした映画作品だというものにしています。宗教音楽の荘厳、クラシックの美しさ、ロックバンドの興奮など、それぞれの魅力が、バビーが感動している姿で伝わってくるものになっています。ニコラス・ホープの演技も素晴らしいですね。薄気味悪さと純粋性を、どちらかに偏ることなく表現しています。
それまでの暴力的な言葉の数々が、きちんと「詩」になっている後半の演奏シーンも素晴らしいもので、このバンドに独自の表現性が生まれているものになっています。バンドもののフィクション作品って、作中の音楽がつまらなそうに思えてしまいがちなんですけど、作中のバンドは音楽としてちゃんと面白いものになっているんですよね。
90年代という時代性にある、悪趣味的な要素は現在の価値観からすると若干のノイズにはなっていますし、父を殺して母を犯すという、いわゆるエディプス・コンプレックスの要素は、いかにも古い感じはしますが、作品が持つ社会システムに対する疑問や反抗という、オルタナティブな感情を呼び起こすメッセージ性は、現代の方がリアルなものになっているように思えます。
時を経て、この作品を必要としている人々の目に触れることが出来た、芸術の幸運と感じました。
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