見出し画像

あふれる日々をことばに。|11月

11/3(日) むすんでひらいて

晴れた祝日、夫と公園に出かけた。
帰り道、夫の靴ひもがほどけていて、私はすかさず「むすびな~、待つよ」と言う。一家の大黒柱にこんなところでケガをされては困る。しゃがみこんだ夫の肩にはトートバッグが下がっていて、結びにくそうだと思って持ち上げてあげる。

すると夫は「うわぁ!びっくりしたぁ!バランスとっていたのに~」と言ってよろけている。笑ってしまった。私はよくこうやって、良かれと思ってする行動で、相手に危害を与える。頭ではなく、感情が私の行動を支配している。

でも夫は、「やめろよ」とか、「危ないだろ!」とか相手を否定するニュアンスではなくて、「びっくりした」という言葉を使った。そこがいいな、とふと思う。

相手を思っておこした行動が受け入れられなかったとき、しゅんとなるし、怒られてしまったら悔しくなる。でもそれが「びっくりした」に変わるのなら、いたずら心が顔を出して、もっとびっくりさせたくなる。これからもそうやって能天気で優しい夫と日々を結んでいきたいなと、ひとり考える。ほどけた時はむすぶ時間をつくればいいし、むすびにくければ笑えばいい。

太陽がだんだんと沈んできて、「ミスド行っちゃう?!」と靴ひもをむすび終えた夫は言う。私の心のひもをゆるめるような時間を、ときどき夫はそうやってくれるのだ。

ディグダをアピール

11/15(金) 灯りをともして

キッチンで鍋の中の具材が煮込まれるのを待つとき、小窓から入り込む風が好きだ。あともう少しで冬がくるな、と身構える。

あんなに冬が来るのが嫌だったのは、寒くて暗い家に帰るのが嫌だったからだ。冷え切ったシンとした部屋ではこの世界に独りぼっちになった気持ちになる。

それでもずっと家は、私にとって「帰る」場所だったのだ。「おかえり」という声をいつまでも期待していた。家に灯りがついていることを待ち望んで、たまたま母が家に早く帰ってきていたときにのように、ずっと「ただいま」を言いたかった。

夫と暮らしはじめてから、「おかえり」と「ただいま」がある家は温かいことを知った。いつからか家は「帰る」場所から「待つ」場所になった。

自ら部屋に灯りをともし、鍋に火をかけ、お風呂にお湯をためる。そうしてひとつひとつ自分の手で空間をあたため、明るくしていく。

冬。それは、自分の手で温め、自分の手で灯りをともす季節だ。そう思えば、少しだけ冬が好きになれそうだ。今年はクリスマスの飾りつけもしてみようかな、なんて。

街の明るさに圧倒されるな。
灯りは自分でともしていくのだ。

おでんがしみる季節になりました🍢

11/23(土) 晴れた休日、コメダで充実

秋晴れだった。
空に雲が見当たらない晴れた日で、風は強く、窓から吹き込む風がカーテンを揺らした。

朝から、窓のふちに腰かけた夫が腕を組み、「休日だ!」と言った。
ひとりの男が休日宣言をしたくなるほどの、気持ちのいい天気だった。

こんな日のために冷凍しておいたサンマを解凍する。大根をおろし、味噌汁を作る。大根の葉と引き肉を炒めて甘辛く味付けをして、白米に乗せる。
「休日だ!」と私も思う。

散歩をしていると、明らかに一人分ではない量のマックの紙袋を手にもつ男性を見て、「休日だ~」と思う。帰ったらポテトを待ち望んでいる小さな子どもや奥さんと、男性も「休日だな」と思うのだろうか。

そうやって、街にあふれる「休日だ!」の声が好きだ。こんなに晴れている日は特に、その声が大きくなる気がする。

夕方、夫と私は休日を口実に、コメダでピザトーストを食べる。
「充実だ!」とダジャレを考えてしまうほどに、平和な日だった。
明日もいくつの休日宣言が聞こえるだろうか。

たまらんピザトースト🍕

いいなと思ったら応援しよう!

深瀬みなみ
よろしければ応援お願いします。後悔させないように、これからも頑張ります!