「叩けよ、さらば開かれん」
これは、中学生の時の国語の先生に、卒業アルバムに書いてもらったメッセージだ。
私は、この言葉を長い間誤解していた。
*
なるほど。
中学時代は、多くの人にとって初めて何かに真剣に打ち込む時期だ。
そのなかで、地道な努力が実らず悔しい思いをしたり、諦めそうになったりする。
そんな思春期を迎えた中学生に、ぴったりのエールが込められたメッセージだ。
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さて、学生時代の私は、そのままの意味で捉えていた。
高校時代、これをずっと実践していた。
好きだった文系科目では、
本当に理解できるようになりたい純粋な気持ちから。
だけど苦手な理系科目では、
「ラクに」ボーダーラインに達したい邪な気持ちから。
テスト前は、職員室をノックし続けた。
私の純粋な気持ちに対して、
文系の先生方は、常に真摯に接してくれた。
特に厳しく、時に叱られ。
でも、おかげで塾に通わずに、私大に合格できたし、先生方には今も感謝している。
一方の理系の先生方は、
最大限、私を甘やかしてくれた。
私の邪な気持ちは百も承知だったのだろう。
「また来たのか」と半分呆れられながら、
ゆるゆると基本的なことをマンツーマンで教えてもらった。
テストの最中に間違っているところを指で教えてもらい、理系科目を乗り越えた。
手前味噌だが、
私はこんな迷惑なことをする生徒だったにも関わらず、
文理系どちらの先生方にも、学年でトップクラスに気に入られていたように思う。
\ なぜか /
私は学生時代、答えを直感していた。
それは人一倍行動したからだ。
良いことも、悪いことも、
行動にいたらないと
相手に気持ちが伝わることはない。
相手に伝わらないと、
救いの手を差し出してもらうこともない。
高校時代の厚かましい経験から、私はそれを学んだ。
*
そして一周回って、再度意味を考えてみる。
たどり着いた答えは、多少私なりの脚色がついたものの、同じだったのかもしれない。
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