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【ネタバレ注意】20年続いた呪いを解く魔法。映画『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』感想

2024年1月26日。
『劇場版 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』を公開初日に見るべく劇場を訪れていた僕の心は高揚と不安でマーブル模様を描いていた。

僕の年齢は現在30代であり、『ガンダムSEED』が人生で初めての「ファースト・ガンダム」だった世代だ。初めて僕の前に現れた「ガンダム」は、僕を夢中にさせた。
さすがに20年前の出来事なので記憶のディテールはほとんど薄れたが、キラとアスランの引き裂かれた友情を筆頭にした登場人物たちの描くドラマの行き先を知るために、毎週のガンダムを楽しみにしていたことは今でも覚えている。

『SEED』を楽しんだ僕は、2年後に制作された続編『ガンダムSEED Destiny』が発表されたときは当然興奮した。新たなる主人公のシン・アスカと『SEED』の登場人物がどんな化学反応を起こすのか。ナチュラルとコーディネーターの憎しみの連鎖に、今度こそ終止符は打たれるのか。そんな大きな期待を抱いた。
だが、その期待は最悪の形で裏切られた。
憎悪に縛られ、劇中で何一つ成長しなかったシン。制作サイドという神の寵愛を得て、フワッとした主張をひたすらゴリ押して戦争にとどめを刺したキラたち三隻同盟。制作の遅れで連発された総集編。何もかもが、面白くなかった。
あの出来の悪さは「呪い」と言っても過言ではなかった。ガンダムSEEDというシリーズにこびりついた呪い、そして視聴したファンの心に取り憑いた呪いだ。

当時のインターネットに溢れた、『Destiny』という呪いに侵されたガンダムファンたちの怨嗟は、忘れようにも忘れられない。
「両澤千晶と福田己津央は、ガンダムSEEDに、いやガンダムシリーズに汚点を残した戦犯だ」
こんな怒りの声が当時のネットコミュニティには飛び交っていたし、僕もネットに書き込むことはなかったが、彼らと同じような怨嗟を抱いていた。

そんな「呪い」を受けたあの日から約20年。今回の『ガンダムSEED FREEDOM』の再始動発表を受けた僕の心は、期待と疑念で真っ二つに割れた。
「あのSEED Destinyを作った奴らだぞ?そんな制作陣があの汚名をすすぐような作品を作れると思うのか?」
という疑念を投げる冷笑家の僕がいる一方で、
「キラが、アスランが、シンが、あの戦いの後どうなったかが見たい。少しでも救われてほしい」
と期待する自分もいた。

そんな相反する2つの感情に揺れながら迎えた公開初日。シアターの入場口を前にした時の興奮は、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の公開時以上のものだった。
結論から言えば、僕の前にみたび現れた懐かしの登場人物たちが描いたドラマは、予想を遥かに超える素晴らしいものだった。


◆20年待ったファンに贈る「祭」

この映画を評する上で、これ以上に適切な言葉はないだろう。

要約すると、本作のストーリーは
「キラやラクスが所属する世界平和監視機構コンパス vs かつてデュランダル議長が掲げていたデスティニープランの世界規模での遂行を目指す国家・ファウンデーション」
というものだ。
ファウンデーションのトップはコーディネーターをも超える新人類「アコード」たちで構成されており、コンパスの面々はアコードの持つ力と、ファウンデーションの仕掛けた卑劣な罠により一度は敗北。稼働可能なMSをほとんど失った上に、ラクスを連れ去られてしまう。
その上でファウンデーションの首魁・アウラは『Destiny』で登場した巨大ビーム砲「レクイエム」を使い、全世界の国家を「猶予期間のうちにファウンデーションの掲げるデスティニープランに賛同せよ。賛同しない国にはレクイエムを撃ち込む」と恫喝する。

上記したようなこれ以上ない絶望的な状況から始まる、コンパスの面々の大逆襲がとにかくアツい。ここから物語は、休む間を一切与えないファンサービスのラッシュを繰り出してくるのだ。
コンパスの面々がファウンデーションの野望を阻止すべく、新造艦・ミレニアムで宇宙に上がった後のストーリーは、20年前からファンが「これを観たかった」と望んでいたもの、かつ、ファンの予想を超える怒涛の展開で構成されている。
キラ・アスラン・シンだけでなく、かつては敵対するしかなかった登場人物が同じ志のもとに集い活躍する姿に対する感動は、『アベンジャーズ エンドゲーム』や『グリッドマンユニバース』と同質のソレ。20年も待っただけに、感動もひとしおだ。

オタク特有の「実質」芸じゃなく、本当に『FREEDOM』の終盤はこれ

僕はこのnoteを書いている時点でこの映画を2回観ているが、初回の時はあまりのファンサービスの凄まじさに感情の動きが追いつかず、混乱しながら感動で泣いた。

CGと手描きを織り交ぜて描かれるバトルも動きが早すぎて目で追えない部分も多かったものの、バンク(使いまわし)が目立ったTVシリーズとは比べるのもおこがましいハイクオリティ。
SEEDシリーズ特有の超高速戦闘や、かつてのプロヴィデンスガンダムとの戦いを思い起こさせる敵味方の遠隔兵器・ドラグーンの撃ち合い、何より後述するある人物と機体の活躍など、アクション面でも非常に満足できた。

◆キラ・ヤマトを「人間」に戻す物語

先程、本作のストーリーを「20年前からファンが『これを観たかった』と望んでいたもの、かつ、ファンの予想を超えるもの」と評したが、その中でも白眉と言えるのが『SEED』の主人公であるキラ・ヤマトと、『Destiny』の主人公、シン・アスカに関する描写だ。

まずはキラについて。
キラは『Destiny』の劇中においては制作陣にプッシュされる割にその内心が描かれることがあまりなく、口を開けば綺麗事ばかり言う、シンの「アンタは一体何なんだ!」という言葉に思わずうなずいてしまいそうになる「世界を平和に導くデウスエクスマキナ」とでも言うべき扱いを受けており、視聴者からはあまり好かれなかったが(それこそ当時は「シンがキラのフリーダムを討つ34話が『Destiny』の最終回。後は蛇足」という言説さえあったほどに)、『FREEDOM』ではそれと真逆に、苦しみ悩むキラがこれでもかと描かれる。

ラクスととも「この世界を少しづつでも平和にしていく」と決めたキラだが、『Destiny』の戦いの後、ナチュラルとコーディネーターは歩み寄り始めた…なんてことは一切なく、相変わらず(黒幕であるファウンデーションのせいでもあるのだが)憎しみに基づく殺し合いを続けていた。
コンパスの隊長として各地の紛争を調停していたキラは、変わらない2つの人種の争いを見続けてすっかり病んでしまっており、「かつてデュランダルが掲げたデスティニープランは正しかったのではないか」という考えが脳裏によぎってしまうほどに弱っている。
そんなキラは、前述したようにファウンデーションの策略にハメられてラクスも奪われてしまい、オーブの下で極秘に動いていたアスランのお陰で一命は取り留めるものの、心が折れてしまう。

この心の折れたキラが『Destiny』時代からは考えられない、『SEED』時代の初期を思い出す、弱音を吐き、身勝手な本心を暴露するシーンと、そこからアスランの助けで再起する一連のシーンは、『FREEDOM』最大の見所の一つであり、ずっと『SEED』ファンが待ち望んでいたものだ。
この時、長らく制作サイドの傀儡であったキラは「一人の人間、キラ・ヤマト」に戻ったと言っても過言ではない。
(キラにばかりフォーカスしてしまったが、ここでキラを”修正”し、再び立ち上がらせるアスランも相当かっこいい)

そうして立ち上がったキラは多くの仲間に助けられ、ラクスを取り戻すべく再びガンダムに乗ることを決意する。
今まで「2つの人種の争いを止める」という、意地悪な言い方をすればファジーな目標を掲げて戦ってきたキラが、ラクスへの愛を胸に、愛した一人の女を助け出すために戦いに臨む姿にはとても心打たれた。

キラとラクス、末永くイチャイチャして幸せな老後を送ってほしい。

◆シンが生き生きしてる!

『Destiny』では物語を担う新たな主人公として登場したものの、番組序盤~中盤は近視眼的な行動の多さで視聴者の評価を落とし、怒りと憎しみに囚われてばかりで成長せず(でもこれは万年言葉足らずのアスランも悪い)、キラを討ったことでキラファンから嫌われ、デュランダルの言うことに思考停止で従い、最後はアスランに完敗して主人公の座もキラに奪われる…という悲惨極まりない扱いだったシン。

シンの救済は『Destiny』視聴者の悲願であり、『FREEDOM』公開前からこの点に期待しているファンも多かった。『FREEDOM』はこのファンの期待に、120%応えている。
今作のシンはキラとの確執がなくなったことで18歳とは思えないほどはっちゃけており、今までのシンの扱いを見てきただけに、憎しみから解き放たれた元気なシンを見ているだけでちょっと泣けてくる。

彼の汚名返上は戦闘シーンにおいてもかなり見られ、特に中盤、イモータルジャスティスからデスティニーに乗り換えた後のハッスルぶりは凄まじい。
ブラックナイツのクズ×4を、デスティニーの持てる性能を最大限に発揮してバチボコにやっつけていくクライマックスは、笑えるほど爽快だった。

◆でも言いたいこともある

基本的に見どころしかない、100点満点中5000億点な映画ではあるのだが、言いたいことはある。

「アウラがロリババァであることへの説明あった」?
「ザフトが管理してたレクイエムを秘密裏に修理してなおかつコントロールを奪うとか無理だろ」?
「ストフリはともかく、なんでモルゲンレーテはインパルスとデスティニーを復元・保存してたんだよ」?
「デュエルブリッツとライトニングバスターとミーティアはどこにあったんだよ?なんで核動力に換装してまでデュエルとバスターを動態保存してたの」?
「地球にいるストライクルージュがタイムラグ無しで宇宙で戦ってるインフィニットジャスティスをコントロールできるわけ無いだろ」?
「みんなユニウス条約くんのこと忘れてない」?

そんなことはどうでもいい!!
だって面白いから!!!

個人的に引っかかったのは、クライマックスのキラ&ラクス vs オルフェ&イングリットの決戦。
世界を統べるべく、アウラによって生み出されたアコードであるオルフェは、同じアコードであり世界を統べる役割を持たされていたはずのラクスがオルフェの愛を受け入れずキラの側についたことに激昂。
「(世界を救うという)役割を果たさなければ!優秀でなければ愛される資格はない!」と詰め寄るオルフェに対し、ラクスは戦いの前にオルフェに言った「必要だから愛されるのではなく、愛ゆえに必要とされる」という言葉を踏まえて「そんなことは関係なく、あなたを愛してくれる人はきっといる。それは近くにいるかも知れない」と優しく諭す。
その言葉に呼応したのが、アコードとしての宿命に関係なくオルフェを愛していたイングリット。次第に追い詰められて冷静さを失っていくオルフェを、イングリットは制止する。
そして、ナイトスコードカルラのコックピットの中でオルフェとイングリットが改心の兆しを見せるなか、キラはマイティーストライクフリーダムでカルラを斬撃一閃、破壊してしまうのだ。

いやいやいやいや!その人達ちょっと改心しそうだったじゃん!!!

オルフェの部下のブラックナイツたちはまあ死んでもいい。クズだし。
アウラも「世界を統べる」とか高尚なことを言ってたけどやったことは恫喝だし、一皮むけたらクズだったし同じく死んでもいい。
だがオルフェとイングリットはラクスの言葉でちょっと改心しかけていたのだ。それをぶった斬って殺してしまうというのはちょっと人の心がない。
敵対していたゼラ・ギンスをも戦いの中で救って人の心の光を示したキオ君をちょっと見習ってほしい。

小説版と『スパロボBX』のキオ君、かっこいいよね

あと、ファウンデーションを鎮圧して「今の我々はデスティニープランを否定する答えを持たない。だけど考えるのを止めずにゆっくりでも進んでいこう」とシメる、「それでも、と言い続けよう」オチは別にいいのだが、どうしても『SEED』から続く大量破壊&殺戮上等のナチュラルとコーディネーターの憎しみ合いフェスティバルを見てしまっていると、「いや、あいつらがこれしきで殺し合い止めると思うか?」と思ってしまう。

頑張れキラ、頑張れコンパス。戦争がなくなる日は遠そうだけど頑張れ。

◆総評

2024年1月26日。この日、約20年間ガノタを縛り付けていた『Destiny』という呪いは雪がれた。キラが、アスランが、シンが、天上から運命を押し付けるアコードたちに抗い「FREEDOM自由」を勝ち取る姿が放つ輝きは、我々が求めていた以上の素晴らしいものだった。
もうガノタは「34話が『Destiny』の最終回」「『ガンダムSEED』の続編は『スーパーロボット大戦L』」などと皮肉る必要はない。『Destiny』が駄作である事実は変わらないが、その先に福田己津央監督はじめとする制作陣は『FREEDOM』というすばらしい名作を描いてみせた。呪われてきた我々にとっては、大げさに聞こえるかもしれないが救われる思いだ。

もちろん、先に述べたように言いたいことはある。だが、スクリーンで味わったあの興奮に、感動に比べればそんな文句は些事だ。

いないとは思うが、このnoteを読んでいてまだ映画を見に行っていない人は、こんな駄文を読んでないで今すぐ最寄りの映画館のスケジュールを確認し、『FREEDOM』をウェブ予約し、1秒でも早く『FREEDOM』を摂取してほしい。

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