「関心領域」音がピタッと止んだ時、心底ゾッとする映画。
どうも、安部スナヲです。
「関心領域」というタイトル、そして「アウシュビッツ強制収容所の隣りで暮らす家族」という設定から、おのずと突きつけられてくるテーマが浮き彫りになる感じもありますが、実際観て思ったことは、漠然と抱いていた「映画を観る不特定多数の傍観者に、それぞれの“関心領域”を問う」というのとは、ちょっとちがうなということ。
そして、暴力や殺戮のシーンがいっさい出て来ないにもかかわらず、この映画があれほど怖いのは、こちらの想像力を、音のみによって完全に掌握されてしまうからだなと…
そのあたりのことを、詳しく話していきます。
【あらましのあらすじ】
豊かな自然に囲まれた邸宅に暮らす家族がある。
庭には色とりどりの花や野菜が植栽され、子供達が遊ぶためのプールまである。
一見すると理想的な環境だが、家を隔てる壁には鉄条網が取り付けられており、その向こうには無機質な建造物が整然と並び、時折黒煙を吐く煙突も見える。
しかもこの家の主人は、一目でそれとわかる、あの軍服を着ている。
主人の名はルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)。ナチス親衛隊中佐でアウシュビッツ強制収容所の所長。
この邸宅は、まさに収容所の隣りにある。
ルドルフはこの家で、妻と5人の子供達とつつがない日々を送りながら、仕事仲間を家に招いて新しい焼却システム導入の打ち合わせをしていたりする。
一方、妻ヘートヴィヒ(ザンドラ・ヒュラー)は、今日も〈自慢の〉庭園を愛でながら、かつてユダヤ人のものだった服を内輪で分け合い、茶飲み話を愉しむ。
ある日、ルドルフは組織変更に伴う人事により、オラニエンブルクへの転属を命ぜられるが、誰よりもこの家に執心するヘートヴィヒに、なかなか言い出せないでいる。
ヘートヴィヒが実母を家に呼び寄せた日、ルドルフは意を決して転属のことを打ち明けるが…
【“関心領域”の意味】
「関心領域(The zone of interest)」という言葉は、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所周辺を指す、言わば専門用語らしい。
そこが事前認識とはちがっていたとこなのだが、私はてっきり、この意味を「どこまで関心を持ち、どこまで無関心でいられるか」という一般用語として捉えていた。
なのでこの映画も、「自分さえ幸せなら壁のすぐ向こうの惨劇に知らんぷりできるか」という、いわゆる傍観者の加害性がテーマと思っていたのだが、実際描かれていたのは加害性ではなく加害そのものだった。
まず主人公は実在したナチス親衛隊将校であり、ルドルフ・ヘスという名前も実名。劇中の出来事は、公私とも史実にもとづくものだ(ただ実際のヘス邸は収容所から数十メートルは離れていたみたいだが)
ルドルフ・ヘスはアウシュビッツ収容所に設計から関わり、責任者として指揮し、あまつさえチクロンBガスの処刑使用を決定した人物、つまり加害者中の加害者だ。
この映画は、ホロコースト実務者の実体に迫る映画であり、世間で言われているように、これを観た人が昨今の世界紛争などに照らして自らの〈関心/無関心〉を問い直す…みたいなのは、ちょっと無理があるというか、一般人とは距離があり過ぎるなというのが正直な感想だ(もちろん、今ガザで起きていることに問題意識を持つこと、声を上げることの意義を疑うものではありません)
【悪の凡庸さ】
ナチスの罪を形容する概念として「悪の凡庸さ」という有名な言葉があるらしい。
ホロコーストを生きのびたユダヤ人のハンナ・アーレントという哲学者が、ユダヤ人移送の最高責任者であったアドルフ・アイヒマン(ヘスの上司にあたる)の裁判を取材した時、「この人はただ、上からの命令に従っただけのチンケな木っ端役人」という印象を、〈凡庸〉とあらわしたのだ。
が、この映画のなかで、ルドルフ含め ナチス要職者らが殺戮をシステム化するプロセスに、凡庸さはカケラも感じない。
ルドルフにしても、ヤリ手の野心家で、組織人としては優秀かも知れないが、凡庸の意味をどう捉えたとしても、それはあたらない。
うまく言えないが、情緒的なものが保たれているからこその凡庸であって、情緒もヘッタクレもとっくの昔にブッ壊れているルドルフは、逆にもう凡庸にはなれないと思うのだ。
で、その妻ヘートヴィヒはというと、一般人である分より悪質度が増し、尚更凡庸とは程遠い。
この映画は是枝作品のように軟調な日常トーンで描かれるので、ヘートヴィヒの発言や振る舞いも、ともすればサラッと流してしまいがちだが、彼女はとんでもないことをフツウに口走る。
なかでも酷いのが、kanada(ユダヤ人の被収容者から奪った所持品の保管場所)から運ばれて来た衣類などを内輪で分配した時の「小柄なユダヤ女のワンピースだから、ジッパーが上がらないの、あの子ったら『ダイエットする!』だってオホホ」や、イラ立ちにまかせてユダヤ人のメイドに「ウチの主人はアンタの灰を空から撒くこともできるのよ」などのクズ発言にはハラワタが沸騰しそうになった。
極め付けは、ストーリーの転換点となる、ルドルフから転属を打ち明けられるくだり。
これまで丹精込めて、サイコーの環境に作りあげたマイホームを手放せっていうの!と激昂する様子を見ると、この女も情緒がブッ壊れてるとしかいいようがない。
【ずっと聞こえてる…】
先の米アカデミー賞で音響賞を受賞している本作だが、その評価ポイントは、従来の映画音響とはまったくちがう、斬新な方法論にあると思う。
ヘス家に、遠吠えのように聞こえてくる微妙な騒音は、史実からその日に収容所で何が行われていたかの記録を辿り、それを再現したものだという。
エンジンだかボイラーだかのブォーーーンという音、人が悶え叫ぶような声、銃声らしきパンッという乾いた音…
これらが混じりあった、複雑で曖昧な音は、距離や音色も物理的計算のもとに作られているだけあってとてもリアル、尚且つ聞こえてはいるが、慣れてしまえば気にならなくなるくらいの音量で、それがより禍々しさを助長する。
劇中、それらの騒音がピタッと止んで無音になる瞬間が何度かある。
あの瞬間、音が自分のなかで無意識化されていたことに気づかされ、ゾッとするのだ。
音に纏わるシーンでもうひとつゾッとしたのは、部屋で遊んでいるハンス坊やが、塀の向こうでの被収容者と看守のやりとりに反応し「二度とやるなよ」と呟くところ。
やっぱり聞こえてる。ずっと聞こえてるのだ…
【謎の少女とラストシーン】
劇中、際立って奇怪な、少女が深夜の収容所内のある場所である行為をおこなうシーン。
はじめは何をやってるのかサッパリわからなかったが、その正体を知った時、なるほどと思ったが、同時に腑に落ちなかった。
あの少女の行いは、映画のなかでの唯一の善行なのに、わざわざ恐ろしげな音楽と、暗視カメラで撮ったような白黒反転映像にすることで、意図的に怖いシーンにしてしまっている。
せっかくの善行を、何故善行と印象づけることを拒むのか…これについては理解に苦しむ。
そしてあのラストシーンは、そこで何が行われていたかの解像度が否応なしに冴え、えづきそうになりました、彼のように…。