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国宝 信貴山縁起絵巻 朝護孫子寺蔵
国宝 信貴山縁起絵巻を模写した信貴山縁起絵巻模本 住吉廣保筆を次のサイトからご覧いただけます。
詳細
文化財指定 国宝
時代世紀 平安時代(12世紀)
品質形状 紙本著色 3巻
法量
山崎長者巻 縦31.8cm 長879.8cm
延喜加持巻 縦31.8cm 長1285.4cm
尼君巻 縦31.4cm 長1423.0cm
所蔵者 奈良・朝護孫子寺(奈良国立博物館に寄託 。毎秋、霊宝館で一部が里帰り展示される。)
信貴山縁起絵巻とは
信貴山縁起絵巻は、平安時代末期に制作された絵巻物です。
信貴山朝護孫子寺の中興開山(衰えた寺院を再興させた僧)・命蓮上人にまつわる奇跡的な説話を描いた3巻からなる作品で、日本三大絵巻の一つに数えられ、平安絵画の名品として知られています。
この絵巻は、単なる寺社縁起ではなく、命蓮上人の奇跡譚を通じて信貴山の本尊毘沙門天王の力を示す内容となっています。
また、当時の庶民の生活や宮中の様子、東大寺大仏殿の創建当初の様子が詳細に描かれ、建築史・風俗史の研究資料としての価値も高く評価されています。
日本三大絵巻
「源氏物語絵巻」「伴大納言絵詞」「信貴山縁起絵巻」を日本三大絵巻という。また「鳥獣人物戯画」をいれて日本四大絵巻ともいう。いずれも平安時代末期(院政期)に作られ、国宝に指定されている。
寺社縁起 寺院や神社の由来や沿革、本尊や祭神の由来、霊験譚などを記録したもの。
構成
「山崎長者巻」:命蓮の托鉢の鉢が米倉ごと飛んでいく奇跡を描く。
「延喜加持巻」:醍醐天皇の病を命蓮が遠隔で治療する物語。
「尼君巻」:命蓮の姉が弟を探し当てる物語。
の3巻からなる。「延喜加持巻」と「尼公巻」には、絵巻の途中に二段の詞書があり、描かれた内容を理解することができます。
特徴
躍動感あふれる線描によって人物をいきいきと描き出し、視点を大きく変化させながら連続的に場面を展開する構成はアニメーションを見るかのようです。『鳥獣人物戯画』とともに、日本の漫画文化のルーツとされています。金や銀、群青など高価な顔料をふんだんに用いており、都の有力者が制作に関わった可能性が高いとされています。
内容とみどころ
山崎長者巻
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空を飛んで長者宅に戻ってきた米俵、驚く家人たち
出典:奈良地域関連資料画像データベース
命蓮が托鉢のため山の麓の長者に向けて法力で鉢を飛ばします。しかし、長者は何度も行われる托鉢を嫌がり、鉢を米倉にしまい込んでしまいます。ところが、その鉢が米倉を乗せたまま浮き上がり、命蓮のいる信貴山へと飛んでいってしまいました。
米倉を追いかけて命蓮のもとにやってきた長者は、米倉を返してほしいと頼みます。「米倉は返せないが米俵は返す」というと、米俵を乗せた鉢が長者の家へと戻っていきました。
托鉢 僧が修行のため、経を唱えながら各戸の前に立ち、食物や金銭を鉢に受けて回ること。
みどころ
いくつもの俵が空を舞う様子は、まるで現代のアニメーションをみているかのようです。人々の驚く様子がとても表情豊かにいきいきと描かれています。長者の屋敷がていねいに描かれており、当時の長者と庶民の生活ぶりがよくわかる資料としても貴重です。
延喜加持巻
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清涼殿へ向けて天翔ける剱鎧童子
出典:奈良地域関連資料画像データベース
延喜の帝(醍醐天皇)が重い病を患い、信貴山の命蓮のもとに京都からはるばる勅使がやってきて、「帝の病気平癒のために京都にきてほしい」と依頼します。すると命蓮は「ここで祈祷をします。」と返答し、加持祈祷を行った結果、剱鎧童子が金輪を転じながら帝のもとに飛来し、帝の病が無事に平癒しました。
延喜 平安時代中期の醍醐天皇の治世に当たる期間で、901年から923年までの23年間を指す。
剱鎧童子 毘沙門天に仕える護法童子。 信貴山縁起絵巻ではジャラジャラと多くの剣を体に吊るし輪宝を回転させながら天を駆ける姿で描かれる。 病気平癒に霊験あらたかだといわれている。
みどころ
剱鎧童子が乗った雲尾には、スピード感があり、命蓮上人の法力の威力が強く感じられます。また随所に遠近表現がなされ、街並みを小さく描くことで、剱鎧童子が非常に高い空中を飛んでいることが視覚的に伝わります。
尼君巻
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尼君が東大寺大仏前で祈り、まどろみ、信貴山へ向かうまで
出典:奈良地域関連資料画像データベース
命蓮の姉「尼君」が東大寺で受戒するために故郷を出た弟・命蓮に会うために、故郷である信濃(現在の長野県)から大和(奈良県)に旅立ちます。
しかし命蓮の消息がわからず、東大寺大仏殿で祈り、寝入ってしまいます。すると夢で大仏から西の山に命蓮の所在を告示され、その通り信貴山に向かうと再開を果たすことができました。
みどころ
道中の商家、農家、職人の家と庶民の風俗の描写から、当時の庶民の生活が伺えます。
東大寺大仏殿の場面では、同じ場面に大仏に祈ったり、寝入ったりするたくさんの尼君が描かれています。これは「異時同図法」といい、ひとつの構図に時間が異なる同じ人物を描くことで、時間の経過や物語の展開などを表現する手法です。漫画と同じ形式で、これが日本の漫画文化のルーツになったとされています。
また、ここに描かれた東大寺大仏殿は、治承4年(1180)の平重衡による南都焼き討ちで焼失する以前の創建当初の姿を描いた唯一の資料であり、当時の様子がわかる資料として評価されています。
成立
成立は平安時代12世紀ごろとされています。
金や銀、群青など高価な顔料をふんだんに用いられていることから、都の有力者が制作に関わった可能性が高いと考えられています。