パティシエがバリスタになるまで④
前回の「パティシエがバリスタになるまで③」の続きです。他店での研修期間を経て、いよいよ完成した新店舗での研修初日、予想外の光景を目にします。今回で、完結です。
本格的…?
新店舗が完成し、いよいよ現場での研修初日を迎えました。他店舗で研修していた仲間が皆揃い、ワクワクしながら店舗の中に入ります。新しい店舗独特の匂いがして、未だ誰も使っていない店内は、これから始まる日々の期待感でいっぱいでした。
そして、キッチンとホールに分かれ、それぞれの持ち場の確認になり、パティシエとして入った私はキッチンへと足を踏み入れた瞬間、「...え?」と一瞬目の前の光景に戸惑いました。
洗練された厨房には、業務用冷蔵、冷凍庫とシンク、広い調理台、そして、オーブンや火口は無く調理台の上に、卓上IH機が1台。思わず「ガス台ないのですか?」と店長に聞くと、「消防の都合上置けなくて、そのIHでやることになったんです」と。
私の中で、少しザワザワと胸騒ぎの様な感覚に襲われました。「家庭用の卓上IHで、本格的なスイーツが出来るの?」という疑問が生まれます。そして、実際のメニューを見せてもらう事になり、見た瞬間、その胸騒ぎが的中しました...。
戸惑い
メニューには、ロールケーキやグラニテ、パフェなど5種類程掲載されていました。ロールケーキの生地は基本、オーブンが無いと焼けません。そう疑問点を聞こうとした時、店長から説明が入りました。「ロールケーキとかは今回コラボする店から冷凍で運ばれてくるので、解凍するだけで良いです。あと、パフェに使うスポンジも。ここでは、カスタードと、グラニテのみ仕込みます。」
「...!?。どこが本格的なの?全っ然違うじゃん!家で作れるレベルだよ!」心の中で総ツッコミでした。あの面接でのマネージャーの話は、嘘だった...、これではスキルアップ以前の話で、戸惑いしかありませんでした。
休憩時間に、店長に「面接の時、本格的なスイーツを作ると説明受けたのですが、これが本格的なのですか?」と聞くと、「あー...、一番最初はそんな話も出たんだけど、消防の都合やコラボの採算とかで、この方法になったんだよね。」と。
次へ...
そしてもうひとつ知ったのは、シェフパティシエと私以外のキッチンスタッフは、全員パティシエでの経験が無いことでした。「このくらいの仕込みなら、そこまで経験無くても出来るでしょう。」シェフパティシエがそう話し、「そうだな、趣味で作っていたら出来る...、私が求めていたものではない...」これから働くことへの不安と、抵抗感が生まれました。
「面接でそう説明を受けていたら、多分応募を辞退した。そして、今は未だ『試用期間』内だ、期間内なら辞める事も出来る。」そう思う一方で、エスプレッソにハマってしまった私は「でも辞めたらエスプレッソ淹れられないしな...」と留まる魅力がありました。
ところが、いざ現場での研修が始まると、キッチンスタッフは殆どエスプレッソマシンに触ることが出来ない事が分かりました。そう、エスプレッソを淹れ、カクテル等を作る人が「バリスタ」という職種としてあるのを、この時初めて知るのです。そして私はエスプレッソに興味を持ったのですが、バリスタという仕事がやりたくて入ったスタッフが多くいた事も、同時に知ることになりました。その中で、私が容易く入れ替われる状況はありませんでした。
悩んだ末、一週間後店長に「試用期間内で、辞めさせて下さい。」と伝えました。店長は「え?!何で?」と驚かれましたが、理由を話すと、止むを得ないなという表情をしながら了承してくれました。残す試用期間は、あと2週間でした。
お誘い
試用期間内での退職が決まり、次の就職先を探さなくては、と思いながらも、心の中で「バリスタもやってみたい...」という思いが片隅に生まれていました。バリスタという仕事が、エスプレッソを淹れるだけではなく、カクテルを作り、ワインを提供し、料理の知識も入れてお客様に接する仕事ということは、バール巡りを通して知っていました。
バリスタへのもうひとつ魅力だったのが、カクテルでした。私がオリジナルのお菓子を作る際、組み合わせの参考材料が「カクテルの組み合わせ」だったのです。例えば「カシスオレンジ」「ディタグレープフルーツ」というカクテルがありますが、飲んで合う組み合わせなら、スイーツにしても美味しいのだろう、と考えるのです。ディタグレープフルーツなら、ディタ(ライチ)のムースにグレープフルーツのジュレを乗せて...とか。バリスタで働けば、より勉強になるし、何よりコーヒーとお菓子は密接な関係、学んで無駄はない。
そんな悩みを持ちつつも、パティシエの求人を探しながら銀座のイタリアンバールへ再訪したある日、近況を聞かれた私はこれまでの経緯を話し、次どこに向かおうか迷っていることを話しました。するとバリスタさんが「次決めていないなら、うちにバリスタとして来ない?勿論、面接は受けてもらうけど。」と誘ってくれたのです。
魅力と戸惑い
一瞬「え?!」と声を上げ固まりながら、「私がバリスタ...ですか?でも、私赤ワインが苦手なんです...。」と伝えました。イタリアンバールのバリスタは、前述の通り多岐に渡る接客の仕事です。エスプレッソだけでなく、カクテル、ワイン、料理、全ての情報と知識を入れて接客しなければ務まらず、赤ワインが苦手な私はその戸惑いが強くありました。
「大丈夫、私が赤ワインを好きにさせます。それに、これだけ今まで熱心にエスプレッソを勉強したのを、仕事として活かさないのは惜しいと思いますよ。」と、バリスタさんに言われ、気づけば支配人も隣で頷きながら聞いており、「ご興味あれば、いかがですか?」と微笑みながら誘ってくれました。
即決出来なかった私は「お気持ちは嬉しいのですが、少し、考えさせて下さい。」と伝え、一週間以内に連絡する旨を伝えました。即決出来なかった理由は、パティシエとしては配属が異なるため勤められない事でした。支配人からは、ゆくゆくはメニュー提案とかしてもらいたいけど、実際作るのは「キッチンスタッフ」、バリスタは「接客」と配属が異なるので両方所属は出来ないと話を伺っていました。
決心
一週間経つ前日、再びイタリアンバールへ訪れた私はバリスタさんに「面接を、受けたいと思います」と伝え、その場で面接の日程が決まりました。バリスタとして勤めようという決め手となったのは、これまでの事柄からもですが、何より「この人の接客技を盗みたい」という気持ちと「本当に赤ワインが好きになるの?」という期待でした。
お誘いしてくれたバリスタさんは、他店のバリスタさんも認める接客の技術に長けていました。後ろに目がついてるのでは?と思う位の視野と、頭のてっぺんから指先まで意識された立ち居振る舞い。もしバリスタとして勤めるなら、この人の術を全て盗んで自分のものにしたい。その思いが決め手となり、お誘いを受けることにしました。
面接は、支配人と料理長の二人と行いました。料理長と話すのは初めてでしたので、緊張しましたが何とか質問も順調に答え「結果は、一週間以内に連絡します」と支配人から言われ、無事に終わりました。
面接の翌日、支配人から電話がありました。「うちで是非、お願いします」と。一週間以内に連絡と聞いており、あまりの返事の早さに驚いていると「あれは形式上ね。皆平等に伝えないと良くないですから。」と話してくれました。
こうして、私はパティシエからバリスタへとなり、パティシエでは決して経験出来なかった沢山の事を学び、様々な人との出会いを得る、貴重な経験が始まりました。
「パティシエがバリスタになるまで」読んで下さり、有難うございます。こんなに幾つも職を変える人はそれ程多くないので、快く思わない方もいると思いますが、全て「嫌だから、辛いから辞めた」では無いことだけ、伝われば幸いです。技術・知識も、どれも中途半端ですが、勤めていた期間の濃厚さは、結構濃いです。その結果は、私のお菓子やコーヒーを召し上がって頂けた時、伝わると嬉しいです。
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