意志決定は「何が大事か」を見定めるべし:マーケターの本棚
世界中に数多あるマーケティング関連本。どれを読めばマーケティングが分かるようになるのか。何から読めばマーケティングを理解しやすいのかを見極めるのは大変困難です。
「いっそ、あのマーケターの本棚をのぞき見できたら良いのに……」
そんな願いを実現したのが、連載「マーケターの本棚」です。今回は合同会社カラフル 代表でマーケターとして第一線で活躍し、最近は一般社団法人コミュニティマーケティング推進協会の理事や大学の非常勤講師も務める小笹文(おざさ・あや)さんに、B2Bのマーケティングを行う上で感銘を受けた2冊を紹介してもらいました。
<プロフィール>
小笹 文
1999年株式会社リクルート入社。ブライダル情報誌の営業職を経て、2006年にグーグル株式会社へ転職し、広告プロダクトのセールスマーケティング、コミュニケーションプランニングを担当。2009年にグーグルを退社後、独立期間を経て、2011年にイベントレジスト株式会社を共同創業し、COOとして業務を管掌。2020年に退任し、合同会社カラフルを創業。BtoBマーケティングや経営コンサルティングに尽力している。
意思決定は自己流ではなくプロセスを共有せよ
『一瞬で大切なことを決める技術』
著者:三谷 宏治
本書は1時間程で読めてしまうくらい読みやすい本で、意思決定にあたって必要な3つの技として「重要思考」「Q&A力」「喜捨法」を紹介しています。その中でも、何かの意思決定をするときに「何がダイジか」を常に真ん中に置いて意思決定をしよう、という「重要思考」が特に印象的な本です。
大事なことを決める軸として「重み」と「差」で捉えよ、と著者は言います。「重み」というのは、自分たちの会社にとってではなく、お客様にとって何が重要なのかということ。そして「差」とは、ほかの会社と比べて優位性があること。この「重み」と「差」の二軸で何が重要なのかを決めようという、言われてみればすごく当たり前のことなんですが、普通に業務をやっていると忘れがちですよね。
例えば社内の会議でも、口調が強い人や上の立場の人の意向で決まってしまうことがあります。しかし「重要思考」で考えると、その意思決定は変わってくるわけです。物事を意思決定することについては「イシューから始めよ」などといろいろな有名な本に書いてありますが、この「一瞬で大切なことを決める技術」で書かれていることが1番シンプルで外してはいけない要素ではないかと思います。
意思決定のルールが自分だけではなく事業部やチームで標準化されていると、最終的に自己流のマーケティング理論にならずに、マーケターがフラットな目で意思決定できるようになるでしょう。キャリアが蓄積されていくと自分の意思決定に自信を持ってしまいがちで、それは大抵の場合は正しいのかもしれませんが、組織やチームのメンバーから見ると、意思決定の理由が「リーダーが決めたから」になってしまいます。
例えば、私がこれまでの経験から「これはこういう風にした方が良い」と理由も伝えることなく決定したときに、チームのメンバーが「小笹さんの経験で決めていることだから」とそのまま受け入れてしまうと、チーム内で標準化もされないしナレッジシェアもされません。
しかし、私が「こういうことが重要だと思っていて、ここに差があると思っているから、こういう風に意思決定します」と共有すれば、チームのメンバーも次に同じような意思決定ができるようになります。
意思決定においてプロセスを共有することは、とても大事です。組織として会社の事業戦略やマーケティング戦略を決めていく以上は、その人の自己流から脱却しなければいけないし、ナレッジを会社に落としていかなくてはいけません。本書を事業部やチームのみんなが読んでいれば共通言語にできるかもしれません。
本書は特に若手の人にぜひ読んでほしいですね。マーケティングのアイデアや戦略を考えるとき、本能的にこれが絶対良いとか、こういう風にやったら顧客と接点を増やせるとか、ぱっとインスピレーションが湧くことがあると思います。もちろんそれも重要なのですが、「重要思考」を理解しておくと、それを裏打ちしやすくなり、相手に納得してもらえることが増えるはずです。
また本書に書いてあることは簡単で、読んでいて「そりゃそうだろう」と思うことばかりかもしれませんが、多くの人が実際にはできていないことだと思うので、定期的に読み返して自分自身を振り返ってみて欲しいですね。私自身、そうしています。
マーケターやマーケティング担当者は、大小はあれど意思決定をすることが多いものです。デジタル広告の入札をどうしよう、クリエイティブをAとBのどちらにしよう、といった日々の小さな意思決定だったり、事業戦略と絡めたところでKPIをどうすべきか、といった大きな意思決定だったり。
意思決定の数が多いだけでなく、マーケティング戦略や施策を最適化させていくために、これまでやったことのない新しいことにチャレンジするための意思決定の機会も多いです。だからこそマーケターには「意思決定はこうあるべき」という型を身につけておいたほうが良いと思うので、この1冊をぜひ役立ててください。
IT社会だからこそ身につけるべき倫理観を考える1冊
『情報倫理入門:ICT社会におけるウェルビーイングの探求』
編著:村田 潔/折戸洋子
本書にはいろいろなトピックスが盛り込まれています。例えばAIの時代の情報倫理がどういう風になっていくかというトピックもあれば、テレワークになったときに女性の働き方や意識がどう変わるかというトピックもあり、情報化の進展で表面化した倫理問題への対応について書かれています。
全体としてはIT、ICT(情報通信技術)社会になったときに心身ともに満たされた暮らしやすい社会になるために、気をつけておかなければいけない倫理感が主な内容。単純に情報倫理の取り扱いのノウハウではなく、それぞれのジャンルにおいて先行研究や実例も含めてかなり踏み込んで書かれているので、内容としては少し難しいです。しかし、こういうことが書かれている本は非常に少ないので、マーケターとしてはおさえておきたい1冊だと思います。
この本を取り上げた理由は2つ。1つは、情報倫理について気をつけるべき範囲をかなり網羅していること。最近は、個人情報の取り扱いはとても重要だと誰もがわかっていますよね。けれど、それ以外はどうでしょうか? ICT社会の倫理観として、プライバシー以外にも念頭に置いておくべきポイントが網羅的に触れられています。
もう1つは、デジタルマーケティングが進むにつれ、そこに携わる人の倫理感が本当に大切になっているからです。広告のクリエイティブや配信先、個人情報の取り扱い、あらゆる場面でいま、マーケターの倫理感が問われています。
そこが保たれていないと、インターネットの世界はどんどん悪いものになっていってしまいます。インターネットで展開するサービスの大きな収益源の1つは広告です。広告や広告を起点とするプロモーションの倫理感が崩れると、インターネット全体の秩序が乱れ、最終的には生活者に対しても良い結果にはなりません。
つまり、その最前線であるマーケターの倫理感がますます大事になってくるのです。マーケターは情報を取り扱う際の倫理感をきちんと理解しておくべきだと思うので、内容は難しくてもぜひ本書を読んで欲しいです。そして「自分たちが良いインターネット、良いデジタルの世界を作ってるんだ」という感覚で、マーケティング活動に取り組んで欲しいなと思います。
本書の最後には、AIの倫理問題に関する論点が書かれているのですが、示唆に富んでいる一方でまだ議論が尽くされていない印象です。AIの進化が速すぎて、議論が追いついていないというのが現状でしょう。けれども私はここを読んで、「自分たちで考えていかないといけない、宿題が残された」と感じました。
AIについては、例えばスマホが進化していくとこうなっていきそうだといったことをマーケティング視点で想像するよりもはるかに、自分たちが想像していないようなことがこの先きっと起こるでしょう。そうなったとき、生活者にどのような行動変容が起きるのか。こうしたことを考えていくのも、先を読む立場であるマーケターの役割なのだろうなと思いました。
本書はリーダークラスの人たち、それこそ自分たちで意思決定する人たちにおすすめです。マーケターとしての倫理感をきちんと持った上で意思決定をする立場にある人が読むことで、会社としてのリスク管理にもつなげられる1冊だと思います。