「居るだけで勇気づけられる」と教えてくれた"小野伸二という存在"に僕たちは何を学び、そしてこれから何をするべきか
*この記事は北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2023に参加しています。
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その"事の重大さ"を過不足なく表現するための方法として、この街に住むオトナたちはよくこんな言葉を使う。
今の若い子たちにはあまりピンと来ないのだろうけど………まぁ簡単に言うと、今から10年後に三笘か久保建英がコンサドーレのユニフォームを着て、札幌ドームでサッカーをしているようなもの。
ね?想像できないでしょ?
僕たちも、まさか"あの"小野伸二が札幌に来るなんて想像できなかった。というより夢にも思わなかった。「夢に思う」という選択肢すらなかった。
でも本当に来て、しかも(途中居なかった期間はあったけど)期間でいえば10年ほど札幌に居て、そして"北海道コンサドーレ札幌の選手として"現役を引退する。らしい。いや、するんだ。明後日。
今この瞬間にでも、何の恥ずかしげもなく言えてしまう。それだけ凄いことがこの10年間ずーっと起こり続けていて、そしてまた起ころうとしている。
◇
「小野伸二選手」が札幌の選手としてどれほど試合で活躍したか?というと、表面的な数字だけを見れば"そうでもない"のかもしれない。出場試合数も年々減少してきたし、ケガや痛みに悩まされる時間も長かったと聞く。
でもそれ以上に「小野伸二が居る」という紛れもない事実が、僕たちサポーターにとっては何よりも特別だった。誇りだった。喜びだった。
それは僕たちだけではなく、このチームをこれから支えていく選手たちにとってもそうだったのだと思う。
この事実がコンサドーレというチームを好きでいる僕たちに、そして札幌の街に住む人たちに教えてくれたのは、「人は、居るだけで誰かを勇気づけられる存在になることが出来る」ということなんじゃないかと、僕は思う。
これがなかったら加入してこなかった選手もいるかもしれないし、札幌ドームや厚別に足を運ばなかったファン/サポーターもいるかもしれないし……もしかしたら、7年連続でのJ1残留も出来ていなかったかもしれない。
「もしもこの10年、札幌に小野伸二が居なかったら」はもう想像すら出来ないけど、どれだけ前向きに考えても今より良い時間になっている様子は、到底思い浮かばない。
だいぶ長くなってきた日本のサッカー史においても、とりわけスペシャルな存在。その現役最後の瞬間を「うちの選手」として見守ることが出来る我々は、明後日の試合、そして来シーズン以降、どうするべきなのだろうか?
少し表現を変えると、「どんな存在になっていくべき」なのだろうか?
………もう、答えは書かなくてもわかるはず。「居るだけで勇気づけられる存在」になるんだ。彼が、10年間かけて僕たちに教えてくれたように。
僕たちは、居るだけで札幌の選手たちを勇気づけられる存在になろう。
一人ひとりができることはとても小さいかもしれないけど、毎試合一人でも多くスタジアムに集まって、少しでも大きな声や手拍子の音を出して、少しでも多く、高く跳ぶ。ゴールが決まれば誰よりも喜び、負けたら「前向け、顔上げろ」と言う。
そうすることで、今よりもっと選手たちの背中を押すことが出来るはずだし、「こいつらと共に戦おう」と思ってくれるはず。それでチームの成績が良くなれば、さらに色々なことが上向いてくる好循環に入ることが出来る。
そしていつかタイトルを獲得することが出来たら。そのためにこの街で戦うことを決めてくれた、小野伸二選手への恩返しにもなるのだと思う。
◇
明後日の今季最終戦。一人ひとりのサポーターが自分の場所で、自分にできることを、自分のできる限りやろう。頑張ろう。
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*この記事は北海道コンサドーレ札幌 Advent Calendar 2023に参加しています。今年も12月1日から25日まで、個性的な記事が勢ぞろいします。ぜひ、毎日チェックしてみてください!チェック!チェック!チェック!
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