”自己肯定感”より、”他者肯定感”。
ADHD_noteです。
今回は、”自己肯定感”より、”他者肯定感” ということについて書きたいと思います。
私は、殊更 ”自己肯定感” という言葉を強調する人に対して違和感をもっている事と、近年の ”自己肯定感ブーム” に辟易しています。
※ちなみにこの記事を投稿する際に、自己肯定感と他者肯定感についてのハッシュタグの”差”について調べてみたところ・・・
#自己肯定感 は18704件。一方の #他者肯定感 は9件となっていました。
その差、約2078倍!!! 要するにそういうことなんです。。笑
こんなサイトがありました。
※上記サイト内にも書かれていますが、テストは、下記の注意をご確認の上でご利用ください。
(自己肯定感・他者肯定感診断の注意)
*医療行為ではありません
*診断結果は絶対的なものではありません。
あくまで参考としてお使いください
*診断結果に対するアドバイスには学術的な論拠を大事にしつつ、ある程度は筆者の主観が入っています
となっています。
私の口癖の一つに、
『良いですね。(良いっすね。)』という言葉があります。
あ、いいですね!(良いっすね!)
それ、いいですね!(良いっすね!)
いいじゃないですか!(良いじゃないっすか!)
というように、”無条件に肯定する” 言葉です。
ある意味、”話を聞いていない” 様にも受け止められかねない言葉ですが、まったくそんなことは無く、むしろ相手側の話をよくよく聞いた上で、答えているものです。(”言い方”も大事なんです。)
同様に、『OKです。』とか、『オッケーっす!』という言葉も使います。
ただし、自分ができないことや、無理なことに対しては、
はっきりと、『できないです。』『無理ですね』というように、答えます。
ちなみに私は、もうかれこれ二十年ほどこんな調子なので、
”肯定する言葉” も、"できないことを断る言葉" も、無意識に口を突いて出てしまうような状態になっています。
一方で、私もこれまでに多数出くわしたことがありますが、
このような言葉を発する方々がいます・・・。
(私がしている事、あるいは、言ったことなどに対して)
「それ、できる(ん)の?」(私にもわかりません。)
「それ、つまらないね。」(素晴らしいセンスをお持ちですね。)
「それ、やめた方がいいと思うけど。」(自分で決めるんで。)
「もっとこうしたほうがいいって。」(なら、一から、ご自身でどうぞ。)
書いているのも嫌になるような、”否定” の言葉の連発ですが・・・ww
(※( )内には、言われた時の、私の"心の声”を書いています 笑)
このようなことを言われれば、さすがにやる気が損なわれます・・・。
さて。
前述した、”いいですね!” との違いは何か?
私の個人的な分析では、
端的に言うと ”人への関わり方” が決定的に違います。
・前者は、他者を全面的に受け入れています。
(言い換えれば、他者を肯定しています。)
・後者は、他者を受け入れず、拒絶しています。
(言い換えれば、他者を否定しています。)
2つは ”違うように見える” ではなく ”真逆” であり、
言ってみれば、180度異なる ”全くの別物” です。
・前者の ”他者肯定”について
基本的に、他人の発言を肯定して受け入れています。
”いいですね!” とか ”やりましょう!”というような、肯定的な発言をすることで、まずは否定せずに、相手を全面的に尊重しています。
その上で、自分にはどうしてもできないこと、どうしてもやりたくないことについては、”できないです。” というように、明確に断っています。
いずれにしても、相手を無視するわけではなく、相手を尊重しています。
・後者の ”他者否定” について
何事にも、まずは否定ありきの発言となっています。
何があろうとも、まずは ”否定” をする。
(しかも、否定する明確な理由や根拠が無い。)
ではなぜ、後者が”拒絶”、”否定” 的な発言になるか、です。
私が思うには
、否定する人が「無条件に否定の発言」を、あえて行うということは、多くの場合は相手を尊重していない。
ということもありますが、自分自身に問題があるために相手を否定している。というケースが多いと感じます。
(『本当にやめた方がいい。』と、他者からアドバイスを受ける場合、相手との関係性などから本心か、他人事なのかを自然と理解できるものです。)
※ドリームキラー(夢の殺し屋)について・・・
少し余談ですが、たとえば自分が ”叶えたい夢” について語った時に、「それは無理じゃない?」「やめたほうがいいよ。」「諦めた方がいい」「うまくいくはずがない」などと言う人がいます。このような発言をする人は、”夢を殺す人”という意味から、”ドリームキラー” と言われます。(ドリームキラーについては今後あらためて書きたいと思っています。)
私は他人への”拒絶”や”否定”の理由について、
本人の自尊心(プライド)など、ゆずれない何かがあることが原因だと思っています。
(たとえば、自分が出来なかったことや、できないことをやっている人。あるいは、それらにチャレンジしようとしている人に対してへの妬みや僻みなど。)
その原因の一つに、「勝ち負け」という考え方があります。
「認めたら負け。」
「こいつの案を採用されたら、俺(私)の負けだ」
「俺(私)の方が絶対に正しい(多数派の理論だ)」
というような感情です。
要するに他人を貶める発言をすることよって、自分の自尊心を守ると同時に、 ”自己” を ”肯定” している(ように思いこませている)のです。
むしろ、これをすることでしか、自己が肯定できない(する方法がない)のです。
実はこれ、相手を貶めてはいるものの、それによって、自分を高めているということとイコールにはなっていないため、
結局は、”自己を認めること” に、なっていません。
実は、他人をいちいち論ったり、低くみる人は、
自分自身では、他人を低く見下す(自分の方が ”格上” だ、というマウンティングや、上から目線で接する)ことで、(多くは能力に関して)自分の方が”上” だ!などと認識していますが、(本人がそう思っているだけで)その解釈自体が錯覚であり、全く誤っていることに気がついていません。
(周囲には、思っている以上に冷ややかな目で見られているかもしれません・・・。)
以前、私はある方に、『IQよりEQが高いよね。』と言われたことがあります。
今でこそ、EQについての認識も少しずつ高まってきてはいますが、私が言われた当時はまだそれほど知られていなかったため、強い印象を受けたことを覚えています。
EQとは、”心の知能指数”とも呼ばれ、これからの会社や組織(=社会)でなくてはならない能力と言われます。
私はこれからも引き続き、自己肯定感よりは、他者肯定感を意識しながら、同じく他者肯定感が高い人たちと多く接していきたいと思っています。
ちなみに画像は、他者をOK(肯定)することで、結局、自己(OK)肯定感も高まる。的な画像。
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