校則を見直そう
今日は久しぶりに中高の同級生に会った。
学生時代の話で盛り上がった。私は昔から血の気が多く、よく先生と喧嘩をしていた。校則に縛られるのが嫌いで、自分の好きな格好をしていた。当時はロリータ服が好きで、アリス柄の靴下やカラータイツを履いて、メイクもしていた。自分の好きな格好をすることで、自分を好きになれたし、毎日の生きる気力に繋がっていた。しかし、それを理解してもらえることはできず、毎日怒られていた。先生からは「この学校の恥」「校則を守れないなら学校を辞めろ」などと言われたことがある。それでも私は私のままであり続けた。なぜそれが悪いことだったのか、全くわからなかった。いや、今でもわからない。
それを言うと、「みんな守っているから」「規則だから」「社会に出た時に必要だから」「学校の評判が下がる」と多くの人が答えるが、全く納得ができない。「みんな守っているから」という理由で私が校則を守らなければならない理由にはならないはずだ。「規則だから」と言うのは、校則を守らなければならないという説明に全くなっていない。世の中にある規則が全て正しいわけではなく、校則に関しては全く必要性がわからない。シートベルトをしなければならないという規則は、命を守るために必要であることがわかるし、介護施設の仕事で爪を伸ばしてはいけないというルールは、利用者さんの安全のために必要なことがわかる。規則やルールの中でもちゃんと理にかなっているものは破ろうとは思わない。しかし、高校生の勉強で靴下の色や髪色、メイクをすることは一体どこに問題があるのだろうか。「社会に出た時に必要だから」と言うが、今は入社式の髪色や髪型が自由になるなど、社会が変わり始めている。「学校の評判が下がる」というのは、人を見かけで判断する人がそもそも問題であって、学生自身の問題ではない。見た目は派手でもうちの生徒はしっかりやっていますと一言言えば、済む話ではないだろうか。また、たまたま派手な格好をした人が問題を起こしたからといって、「派手な人=問題児」とレッテルを貼ること自体がおかしい。
だから私は今でも校則に納得ができないし、それで抑圧されたり、学生のやる気が削がれてしまう、自分らしさを失ってしまうことの方が問題であると思う。
友人から「周りに合わせることも必要だから」「他のところで自己表現をしたら良い」となだめられたこともあるが、私にとっては周りに合わせることがとても苦痛だし、自分の嫌いな格好でいることで自分が自分でなくなるような感覚があった。 自分の好きな格好でいることが最大の自己表現であるのだ。
校則だからと受け入れるのではなく、その校則は本当に必要なのか、見直していくことが大切だ。その際に大人が一方的に決めるのではなく、教師と学生が話し合って校則を決めていくことが必要となるだろう。
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