#生まれ変わるなら ~ 『ある男』を読んで
#生まれ変わるなら そう問われて思い浮かぶのは 凡庸な自分の持ち得ない美貌や才能のカケラでも持てたら、とう程度。
ありがたいことであろう。
そうではない、もっと切実に 自分を縛るアイデンティティを棄て 生まれ変わりたいと願う人をモチーフにした作品。
弁護士の城戸は、以前 離婚調停を手伝った里枝から奇妙な依頼を受ける。再婚した夫・谷口大祐が事故で死んだのだが、彼の実家に連絡したところ、夫は谷口大祐ではないらしいと言う。
この谷口大祐探しの過程に、さまざまな要素が盛り込まれている。震災のこと、在日韓国人のこと、ヘイト問題、死刑制度 --- いずれも人権の根幹に関係することであり、それぞれが ”なにを以って 個人はその人と同定されるのか”という アイデンティティの問題を多角的に考えさせてくれる。
谷口大祐をめぐるアイデンティティは、それは哀しく ドラマ的で、物語に推進力をもたらしている。同時に探求者である城戸が自らについて考える --- 自身に迷い 悩み そこからあらためて自分を掴み取っていく過程がとても興味深い。
その城戸と対照的ともいえる人物も登場している。
里枝の前夫だ。
自信があり自己の視点に固着している、ああ いるいる こういう”立派な”人! なぜ里枝が離婚したかったか、わかるような気がしたと城戸は感じるのだが、その感覚は読者にもじわりと伝わってくる。
さて、では、人は 外部から纏わされるアイデンティティ --- 身体的特徴、 DNA、家庭や地域・学校といった生育環境 --- から決定づけられてしまうのか?
”ある男”はそこから逃げ切れなかったのか?
それだけではない、と。
最後に里枝と中学生になった息子・悠人 --- 父親は離婚した前夫 --- とのやりとりに描かれている。
悠人に手を差し伸べたのは、”文学”。
その力が悠人の自己形成に大きく力を与えている。
彼の血の繋がった父親、里枝の前夫とはまるで違う人格に育とうとしているのだ。
その姿は一条の強い光を発している。
そして、その光は周囲をも照らす。
城戸もまた、自身の親としての愛情を再確認し前にすすむ力を得る。探し続けた者だけが得る力を。
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