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そこに愛はあるんか?

話していて、「この人は何に幸せを見出してるんだろう?」って感じる人は大体マルチか宗教の勧誘の確率が高い。勧誘をされた時に、点と点が結ばれた感覚になる。

この前のチェックのおばさんもそうだった。

通称チェックのおばさん。今年最後の残暑日に、長袖の紫系のチェックシャツを着ていた。推定60歳くらいで、見た目は阿佐ヶ谷姉妹の阿佐ヶ谷感をなくした感じ。そんな都会じゃなくて、西荻窪くらい。色んな意味で、程よいアングラ感や闇があるような雰囲気。阿佐ヶ谷姉妹のエッセイは大好きだけど、阿佐ヶ谷姉妹から阿佐ヶ谷感を抜いたらオバサンof オバサンだと思う。ポップじゃない、ただのオバサン。でも、物凄く想像しやすい雰囲気でもある。

とある交流の場で知り合い、池袋のカフェで1時間半くらいお茶をした。なぜそのくらい歳の離れた人と個人的に会うことになったかというと、同業他社(営業職)で10年働いているベテランと知って、色々と参考になるのではないかと思ったから。尚、複数の場面では怪しさは感じられなかった。

冒頭はずっと仕事の話をしていたが、随所で「この人は幸せなのかな?」と感じることがあった。なぜなら、毎日のルーティンが92歳の母親の介護と仕事だけだと言っていたからだ。2人暮らしで、結婚歴も子供もなし。深い同情と、「そこに愛はあるんか?」って感じの気持ちが交錯していた。その人に対してそう思うことに、申し訳ないとすら思った。

でも、その気持ちはすぐになくなった。何の前触れもなく、宗教の勧誘をしてきたからだ。タイミングを見計らっていましたかと言わんばかりのその様子に、チェックのおばさんには営業力が皆無であることを悟った。この人から教わることは、何もない。その時点で、私の中では「その人」から「チェックのおばさん」という呼称に変わった。当たり障りのない敬称から、完全にシニカルな呼称に。もう何も気遣う必要はない。

「ちょっと、○○さんにお見せしたいものがあって。」

某新興宗教のチラシを徐に取り出した。その時点で私は屈強なガードを張り、「あ、私クリスチャンなんですよ。」と言ってみた。仏教系の新興宗教だったから、正反対の宗教の信者を名乗れば問答無用で引くかなと考えた。でも、阿佐ヶ谷姉妹から阿佐ヶ谷感を抜いたチェックのおばさんは、そんな謙虚さなんて持ち合わせていなかったのである。人としても、得られるものは何もないなと改めて思った。

矢継ぎ早に、「洗礼は受けてるんですか?」「クリスチャンになって良いことはありましたか?」「どんな感じですか?」「うちに来ませんか?」と聞いてきた。

やっぱり、この人には営業力はない。10年間、何をしてきたのだろうか。

適当に返事をしていると、「人に処刑された人が神になって人助けできるわけない!」と躍起になってきた。イエス・キリストに謎のライバル心を抱いている様子に、小さな子供が駄々をこねている様子を重ね合わせ、何とも言えない気持ちになった。

これは早く撒かないと面倒なことになりそうだなと悟り、私は臨戦体制に入った。意気揚々と語り出しそうな所をあえて見計らって、「ちょっと、予定があるので帰ります!」と言ってみたのだ。ここは前進して立ち向かうのではなく、突進してくるところをあえて交わす。そこで、さり気なくチェックのおばさんの怪訝な顔を確認する。それで、私の勝ちだ。この前半の時間を無駄にされた虚無感を、地味にプライドを刺激することで反逆しようと思った。

モーセの十戒の海割りくらい、人のいとまに割って入ってくるチェックのおばさんの独り言は、お会計が終わってからも止むことはなかった。「私が信仰している○○は首が切られても~」と真顔で言っていた様子には、全く覇気や幸せを感じられることはできなかった。藁にもすがる思いで、どこかに愛をすがりたい感じがひしひしと伝わってきたのだ。それにも関わらず、私に勧めてくることにとても恐怖を感じた。

そんなことよりも、私には美容院の予定が迫っていて、どうにかしてチェックのおばさんを撒かなければいけなかった。幸せを感じられない人のお経のような独り言を、聞いてる暇なんてない。それは、もはや幸福になるためのお経ではなく、ただの呪文なのだ。

それ故、ビルの外に出てからモーセが海を渡るくらいの俊足で退散した。見事、チェックのおばさんを撒くことに成功したのだ。でも、自分の心の中にモヤモヤが残っているのが分かった。

有象無象なチェックのおばさん。

「そこに愛はあるんか?」

もう二度と会うことはないのに、数分前までの出来事がじわじわと頭をよぎる。

私に断られたあのチェックのおばさんは、これからその宗務本部に戻るのだろうか。それとも、家に帰って92歳の母親の介護に戻るのだろうか。この間、母親はどうしていたのだろうか。私が断ったことでの取れ高のなさと、母親を待たせてしまっている申し訳なさの重圧に押し潰されていないだろうか。

ここまできて、自分に寄り添う気持ちが少なからず残っていたことに驚いた。もちろん、軽蔑するような気持ちや腹立たしさも残っている。

たぶん、私もいつかそっち側の人間になってしまうのではないかという恐怖心や反面教師な気持ちがあったからかもしれない。このまま30歳、40歳を過ぎても誰とも結婚せずに初老を迎え、両親の介護をせざるを得ない状況になっているのではないだろうかと。身内の介護を引き受けたとしても、パートナーや何か別の者から受けられる愛情がないとやっていけないと思う。

それが、チェックのおばさんにとったら宗教だったということだ。確か、その宗教に入信する前には売れないバンドマンに入れ込んでいたと言っていた。

私も熱狂的なジャニヲタを終え、闇のホス狂時代を経たから、その気持ちは分かる。報われないことで病み散らかしたことは多々あったけど、なんとか今に至るまで再起できた。私の場合は10代、20代でそれを経験したのがせめてもの救いだったのかもしれない。

まだ、「青春」にできる範囲内で事を終わらせることができたのだ。改めて、それでよかったとチェックのおばさんに出逢って思った。「青春の認知」は、時に遅れてやってくるのだと。

せめて、これからのチェックのおばさんの人生でそう思わせてくれる人に出逢えたらいいのになと、また深い同情心が溢れてきた。結局は、そこに不時着する。

たぶん、彼女はきっと良い人なのだろう。

幸せになれますように。

アーメン。