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苦しむことの喜び

最近の私は65歳まぢかの年齢なのと昨年癌で闘病生活を送りましたので趣味だったジョギングを控えていますが、それでも仕事に復帰していますので意識しないでもスマホの万歩計アプリを見るといつの間にか当たり前のように毎日10,000歩以上を歩いているようです。

どうも私に限らず人間は身体を鍛えることが本能的に好きなのかもしれません。もっと
別の言い方をすれば身体的に辛い負荷をかけることが好きなようです。生きるには何かの
励みや気分転換が必要です。学生時代はもちろん社会人になってからも、ジョギングをし
たりフィットネスクラブに通ったりして身体を鍛えようとします。それは何故でしょう
か?

それは人間には本能的に、より強く逞しくなりたいという意志が働いているからなのかな
と私は思っています。健康で活力に満ちていたい。エネルギッシュでありたい。そのため
には、自分の身体に苦しい負荷をかけて、よりパワーアップするしかない。これが人間の
自然な姿です。

さて、私たちは無意識のうちに、身体を鍛えると喜びを感じるように、精神もまた鍛える
と元気になる事を、言い換えると敢えて自分の心に負荷をかけてパワーアップするのが喜
びに繋がるということを、なんとなく気づいています。

もちろん、ジョギングも身体が苦しくなるわけですが、心に負荷をかけるのは辛いことで
す。けれども、人間は敢えて苦しみを喜びに変えてしまうような不思議な傾向を持ってい
るようです。「苦しいから嬉しい、ストレスや苦しみは人間の生きている証拠、根拠だか
ら当たり前だ!」という感覚でしょうか。

心のジョギングやフィットネストレーニング(ストレスや苦しみ)は、すべて喜び(生き
がい)に繋がります。そうなると人生の迷いや苦しみや悩みなどの重荷は、心の筋力アッ
プの手伝い動機を生む源泉になります。もし苦しみ自体が喜びに繋がるようなシステムが
あるということを理解納得できたなら、人生は歓喜に満ちたものとなるはずです。その人
の苦しみを喜びに変える有酸素運動です。もっと言えば苦しみや悩みや迷いがなければ心
の有酸素運動機能は起動しません。苦しみや悩みや迷いがあったからこその喜びです。苦
しみや悩みや迷いがなかったら喜びも生まれません。

まさに仏教でいう「煩悩即菩提」「生死即涅槃(しょうじそくねはん)」です。

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