機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)の単なる感想

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機動戦士Gundam GQuuuuuuXの単なる感想です。
「なぜ課金?」
そう思われて当然ですが、昨今思うことがあるんです。

垂れ流しの個人意見、それは本当の溢れる情報と言えるのだろうか。
本来は個人の意見や思想なんてものは、ある程度「選んで手にする」のが基本だろう。

なのに発達したSNSの状況を見ていると「あなたが夢中になって見てしまうもの」が脳ハックによって選び出されて「見せられている」状態ではないか。

個人の意見というか、考えの放出というのは、果たして本当にそれでいいのだろうか。

勿論、SNSの投稿は僕も続けていくし、そこに課金要素など含めるつもりもない。
でもあれは、一種の呼び水であろう。

「あぁ、この人はこんな考えなんだ」の片鱗を見せる場所。
まぁそれは良い。

でもnoteはどうなのだろうか、と思った。
だって長文を記す訳だ。

それこそ長文ゆえに見えてくる文章力や、その人の持つ語彙力に、リズム感、そして考えの深い部分も露見してしまう。

「なんか垂れ流すのは違うんじゃないか」って思った。
勿論これは、僕自身の稼ぎの本流がnote軸足になっているものではないというのが一つある。

もしnoteがビジネスの本流であれば、きっとまた違った考えのもとで試行錯誤すると思う。

でも今は正直「僕オモウ」を書いているに過ぎない。
後に「テキストを主体とした強いビジネスへ育てていくんだ!」なんて思っていない。

それよりも「ちょっと強めの交流ツールかな」とテキスト部分は思っている。
(音声はノウハウ系なので、がっつり商売として考えて出しているよ。今はテキストの話をしております)

交流するためにはどうすればいいのか。
500~999円くらいでのペイウォールだ、と僕は思う。

僕のことを知って、僕と話したい人が、僕のテキストと対話する。

本来の会話って、そうじゃないかなって思うのだ。
会いに行くにもお金は少しかかるものだ。
喫茶店に入ればお金もかかる。
同じでしょ、って。

あなたもそうだと思う。
あなたと話すのは、あなたと話したい人、あなたを知りたい人であろう。
だから「ここのコーヒー奢るよ、僕が呼んだんだしね」みたいな。
あるじゃないですか。

それこそ、僕は対話だと思う。

なのに、なぜ世間様に向けて「オレはこう思ったぜ」を野放しに放流するのか。
そんな疑問がずっとあった。

そしてそんな事で「情報過多」なんて時代の話がされる。
個人が野放しにした考えが、本当に情報なのだろうか、という疑問もある。

SNSは大放流時代を作り、そこでふと逆行に向かってみたい気持ちが出た。
いや、飽きたと言った方が正直なところかもしれない。

つまりは「人間的な繋がり」を重視した、「選んで得る」という個人間の会話のような世界観。

最近の僕のテキスト投稿が全て課金で、しかも販売数を限らせているのは、ここにある。

「読み、考えを聞きながら、対話をしたい」

きっとそんな人じゃないと他人の「考え」なんてものに対して課金はしない。

5人か10人か。
まぁそんなものだろうと思って、大体そのくらいで限定販売している。

僕も誰かと対話したい。
あなたもきっと誰かと対話したい。

限定にすれば、買ってくれた人を覚えていく。
これがまた今の移動しない時代において「いつも、いいねをくれますよね」よりも、少し深く「あぁいつもnote買ってくれる!」ってなる。

そして中には「あの5冊で絶版したやつも買ったの!?」みたいな、ね。
しかもお互いに「僕も〇〇のnote買っちゃいましたよ」ってさ、いいじゃないの、なんか。

会った時、そんな話をしたいとも思っている。

さて、何の話だったか。
そう、機動戦士Gundam GQuuuuuuXの、感想だった。

本当は「ようこそFACT」のこと書こうと思ったんですが、なんだろうな、多くの深く考える人たちがいて、僕がわざわざって思ったよね。
んなことよりも、会話ってことなら、ガンダムじゃろ、って。

あ、深い考察みたいなの読みたい人は、別の誰かのブログとか見た方がいいですよ、ホントに。何もそういった考察は無いですからね!

機動戦士Gundam GQuuuuuuXの感想

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