昼間鈍行(11)この国の備忘録の回(後)
2015年8月20日
12:25 広島県 山陽本線 車内
隣にふと人の気配を感じ、手元のメモからスッと視線を外した。
ボックス席の車両の中にある2人がけの補助席風の席に座っていたのだが、そこで隣に人の気配を感じるということは、仲良く2人で並んで座ることになる。
はてわざわざ隣に一体何者也…?と横を見ると、
そこに座っていたのは30代前半くらいのリーゼント男であった。
ガラガラの車内に、2人席でギチギチになって座るひょろ長大学生とリーゼント氏。無言の2人。うろたえるあだち。差し込む日差し。
ガタゴトと鳴り響く走行音の中、メモをとる手を止め向かいの車窓を眺めることしかできない。
突然、ブワッとまばゆい光を全身に浴びた。瀬戸内海である。
あちこちに島が点在しているのが見えて、だだっ広い日本海や太平洋しか見たことがない僕には、新鮮な光景だった。
ぼけりと瀬戸内海を眺めているうちに呉についた。
リーゼント氏はいつの間にか居なくなっていた。
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改札を出ると目の前に寿司屋が目に入った。軒先に800円のリーズナブルなランチメニューが掲げられている。お昼時だったのと、瀬戸内の海の幸をまだそれほど楽しめていなかったなと思い、そのままのれんをくぐった。回らない寿司屋だった。
案内されたカウンター席に座ると目の前のガラスケースに目がいった。その中には魚の切り身や見たこともない巨大な貝がぐったりとしている。寿司屋といえば常に回っているか、新幹線で運ばれてくるタイプの全国チェーンしか行ったことが無いので、「やぁ寿司のネタだよ…」と気怠げに横たわっている魚介類の存在感に動揺する。しかしどういうわけかランチメニューは800円なのである。
久しぶりに茶碗蒸しを食べた。出汁が舌の上に染み渡る。美味しい。
どの寿司もぎゅっと詰まっている印象で、口の中でかすかな跳ね返りを感じた。最後に、クーラーの効いた店内で熱い茶など啜るのは気分が良い。
そのまま駅ビルを出て徒歩で大和ミュージアムに向かう。街並みは中層マンションが点々と建ち、整備された広い道路や大型店舗が沿道に並ぶごく一般的な地方都市といった感じだが、そのすぐ後方に緑生い茂る山々が連なる。海以外、ぐるりと山に囲まれている地形が今でも見てとれた。
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大和ミュージアムに入館するとすぐに、名物の一つである1/10サイズの戦艦大和の模型に出会った。全長が25mプールくらいあるのでかなり迫力がある。当時の人々が初めてこれの本物を見たときの高揚感が、なんだか想像できるような気がした。
広島の平和記念資料館が主に直接的な被害にあった人や物の資料や芸術作品で強烈なビジュアルを前面に戦禍の悲惨さを伝える構成だったのとは対照的に、大和ミュージアムは戦争に関わった兵士や遺族の遺品や、軍の残した資料、再現模型、あらゆるデータの公表といった科学っぽいアプローチの展示だったのが印象的だった。事実や証拠を淡々と並べている。
特に遺書には目を引かれた。つい政治だったり実際の戦況の変化だったり、ダイナミックな観点から見られがちな戦争だが、遺書を通じていち生活者としての、個人としての立場から戦争を見ることができる。
妻への感謝、娘に向けたメッセージ、艦長として戦艦が沈んでいく状況を最期まで冷静に記録した手記、死ぬことの残念さ、昔を懐かしむ気持ち…等、当時を生きた人の生々しい感情の記録が残っている。
意外にも、日本が敗戦することを見据えていたり特攻を拒否した旨の記述があったりと、日本全体が盲目的に戦争へ突き進んで行ったようなイメージとは異なる個人のリアルな心情が吐露されているものもあった。
戦争をするのは国家ではなく、一人一人の人間なのだということを強く感じさせられた。だからこそ、展示物の中に並ぶ明治天皇の残した一首が鮮明に心に残った。明治天皇は、国民を国民としてではなく、個人個人として捉えていたのかもしれない。メモしておく。
"国の為 たふれし人を惜しむにも おもふは親の こころなりけり"
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(当時の半券が見つかった。)
_人人人人人人人人人人人人人人人人人人人_ > 読んでいただきありがとうございます <  ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄