壇ノ浦

昼間鈍行(5)壇ノ浦イマムカシの回

2015年8月19日
11:01 下関駅周辺

人の死を受け止め、歴史の転換点を見つめてきた土地がある。
朝食後にコーヒを啜りながらぼくの右手に握られたスマホの地図画面上に
"徒歩50分"と表示されたその場所は、名を "壇ノ浦" と言った。

下関駅で下車すると、ぼくはすぐさま朝食を取れる場所を探した。門司で買ったツナおにぎりひとつでは、流石にこの185センチの巨体は動かせない。粗大ゴミだって腹は減るのである。

めぼしい店を探そうと駅周辺をウロウロと散策してみるが、店舗たちは意地でも開かない。ただ、門司から電車で10分もかからず到着し、ぼくがうろついていたのは7時半くらいだったので無理もなかろう。

駅周辺は見込みがなかったため、ダメ元で少し足を伸ばして駅から離れてみた。駅周辺に店が無いんだから離れたら余計無いことなんて考えればわかりそうなものであるが、空腹を通り越したぼくはIQが5くらいになっていたので、ゾンビのごとくヨタヨタと歩き回るしかなかった。

道は綺麗に舗装されていて新しく、最近整備されたかのような印象を受ける。しばらく辺りを歩いていると横浜ランドマークタワーにミラーボールでも乗っけたような高層ビルが1つ建っているのに気づいた。"海峡ゆめタワー"と言うらしく、展望室は地上153メートルにあるとのこと。関門海峡や瀬戸内海を一望できると知ってぼくは興奮したが、営業開始は9:30からとのことで諦めた。2時間も時間を潰すのは勿体無かった。

駅に戻る途中、幸運にもビジネスホテルの1階にあるレストランがモーニングを出していたのを見つけて立ち寄った。注文したのは500円のパンケーキセットだったが、パンケーキに加えてベーコンやシーザーサラダ、熱々のコーヒーまで出たので大満足だった。

左手でコーヒーを傾けながら、右手の親指をスマホのマップ上で滑らせる。ふと、"下関砲台"の文字が目に入った。ぼくも文系男子に似つかわしく幕末の歴史が好きだったから、すぐにあの"下関戦争"で使われた大砲だとわかり、実物を目に行きたくなった。

ただし、徒歩50分と表示されているのが少々気になる。タクシーを乗る金銭的余裕も、今後の旅程を考慮した体力的な余裕もなかった。
が、地図に記された地名を見て、やはり行こうと思った。
かの場所に"壇ノ浦"と表示されていたからだ。

海上にいた時の晴天はすっかり影を潜め、どこまでも灰色の雲が広がっている。せっかくの旅行なのに少々残念だったが、50分も歩く身からするとその涼しさが有難くもあった。

関門海峡を右手にひたすら北東へ向かう。海の向こうには門司が見えており、建物がびっしりと陸にこびりついている。海上交通の要所として発展してきた歴史の、現実味を感じる。

水族館、道の駅を思わせる物産店、港町らしい市場を通り過ぎ、まだまだ歩みを止めることは無い。歩道の幅はぼく一人が通れるくらいの狭さで、路上は自動車が自信満々に排ガスをふかしながら往来している。圧倒的車社会であることを感じさせられたが、ぼくの地元だって同じようなもので、むしろ日本全国このような状況の方が多いだろうと思った。普段住んでいる東京の環境が特異なのだ。

壇ノ浦は、今は公園になっている。ところが公園とは言うものの、関門海峡に向かって数門の大砲が砲口を向けてずらりと並んでいたのでギョッとした。大砲並べて「公園です」などと言うのは、スキンヘッドのおっさんが「プリキュアです」と言うようなものだ。とかく異様な光景なのである。

さすがに大砲はレプリカらしく、誰もが教科書で1度は見たことがある以下の光景を再現しているのだとか。


公園内を散策していたら、長州藩が使っていた本物の大砲が1門展示されているのを見つけた。
イギリス・フランス・オランダ・アメリカの連合艦隊に大砲を撃ったら、「倍返しだ!!」とかえってコテンパンにされ、その時の戦利品として持ち帰られたものを20世紀になってから返してもらったらしい。大和田常務もびっくりである。

なお、この時ボコボコにされた長州藩は従来の外国を排斥するという方針から、むしろ外国から積極的に学び吸収する方針に変えた。これが倒幕を可能とした薩長の軍事力の基礎を作り、明治維新と言う日本史における一大転換のひとつの芽となったのである。

また、壇ノ浦と言えば『平家物語』だろう。「祇園精舎の鐘の声…」で有名な平家の盛衰を描いた平家物語、なかでも源平の争乱におけるクライマックスが"壇ノ浦の戦い"だ。

幾艘もの船の上で、一族の命運をかけて平氏と源氏が衝突し、最終的には安徳天皇の入水・崩御をもって決着がついた。またその際、一族の敗北を悟った平氏の武者たちは次々に入水したと言う。

平家滅亡後、源氏は東国は鎌倉に日本初の軍事政権である"鎌倉幕府"を開いた。以後、江戸幕府の倒幕まで約700余年にわたる武士による軍事政権の始まりである。

武士政権の誕生と終焉のきっかけとなった地が同じというのは、いささか出来すぎている。しかし歴史とは往々にして出来すぎていたりするので、ぼくのような歴史ファンが後を絶たない。

公園は芝生や石畳が敷かれ、美しく整備されていた。一部、重機が置いてあって、まだ整備は途中のようだ。きっと数年以内には完全に公園として生まれ変わるのだろう。

海岸まで近づくことが出来たので、岸の柵から覗き込むように海を見る。格別に綺麗な水でも無い、普通の海だ。水面は少し透けているが、数センチ先は深い青緑の闇が広がっている。

この向こうに沈む、無念さを抱えながら死んでいった平家の武士達、一族の誇りを背負って戦った源氏の武士達、わけもわからず苦しい思いをして死んだ安徳天皇、日本の未来を本気で考えて散っていき身を以て味方に現実を突きつけた長州藩士達の亡骸に思いをはせてみた。目には見えないけれど、きっとこの水の向こうに彼らは鎮座している。

目の前では関門橋の下をフェリーが行き交い、公園では家族連れが写真など撮っている。のんびりとした光景をぼんやりと見て、彼らにこの光景を見せてあげたいな、などと感傷に浸ったりした。

***

(下関~壇ノ浦は新宿〜渋谷間の距離とほぼ同じ)

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