『ニルヤの島』(柴田勝家・著)のレビュー
私は基本的に「小説家はあまり顔を公に出さないほうがいい」と考えています。
いえ厳密に言うと、
「小説家には顔を出さないほうがいい人と、顔を出してもいい人がいる」
といったほうが正しいかもしれません。
たとえば筒井康隆とか京極夏彦とか村上春樹とかは顔を出しても良いタイプだと思います。別にイケメンだからというわけではなくて、「顔と作品がなんとなくマッチしている」からです。
うさんくさい作品を書いている人にはうさんくさい見た目であってほしいし、爽やかな作品を書いている人には爽やかであってほしいと願ってしまうものです。
その意味で言えば、今回紹介する『ニルヤの島』の著者、柴田勝家さんは「顔を見ないでおけばよかった……」と思うタイプの作家さんでした(超失礼ですが)。
私は積極的に作家の名前を検索して顔を探し出そうとするタイプの人間ではありません。
ただ、柴田勝家氏の顔を見てしまったのは、ひとえに「解説」のせいです。
まずはお手持ちのスマホやパソコンでブラウザを立ち上げ、「柴田勝家 SF」と入力し、画像検索をかけてみていただきたい。黒の紋付姿でポーズをとる、ヒゲ面の大男の姿が現れるはずだ。これが本書の著者、柴田勝家氏。日本史の教科書に登場する勝家の肖像とあまりに似ており、絶句してしまう。だがその正体は戦国武将とは縁もゆかりもない、いち勝家ファンである。所属する大学の文芸サークルで、ある時「そんなの賤ヶ岳だよ!」と口にして、羽柴秀吉と柴田勝家の戦についてまくしたて、あっけにとられた仲間たちから「柴田勝家」として認識されるようになり、筆名も柴田勝家を選んだのだという。
こんなふうに著者の顔についてネタバレされてしまうと、もう脳内でヒゲヅラの大男が認識されてしまうわけで、こうなったら検索してもしなくても変わらないですね。
ということで検索して柴田氏の顔を見てみましたが、まさにそのとおりでした。
これは解説のヒトが悪いですね。
もしも本書が日本の戦国時代を舞台にした熱い男たちが活躍する戦国時代SFだったり、あるいはエロ・グロ・ギャグ満載のブラックSFだったりしたら別に良かったのですが、この『ニルヤの島』は全体的に静謐さをたたえた、すごく抽象的で、神秘的な物語です。
だから、個人的にはもっと塩顔で感情が読めないような人が書いていたらよかったなーと思うところがあり、それで残念だったわけです。
ちなみに、作家が顔を出すこと自体は、きっと作品を世に広めるという点ではそうしたほうがいいんだろうなと、編集者の立場からは思っています。
いまは作品の良し悪しに加えて、「どんなヒトがこの作品を書いたのか」ということも、読者は見ていると思うのです。
ただ、だからといって顔を出せばいいというわけでもなく、要するに作家のキャラクター性が小説作品以外の場で表出されれば、キャラとして立ちます。
専業の小説家としてやっているならば、本が売れないと食っていけないわけですから、自分の顔を出すなりYoutubeをつくるなり、コラムを書くなりして自分をブランディングするのは正しい戦略だと思います。
前置きが長くなりました。
それはそれとして、本作はとっても難しいです。
物語の舞台になっているのはパラオなどの島嶼国が統一されたミクロネシア経済連合体(ECM)という国。
そこでは生体受像(ビオヴィス)という技術によって感情や記憶を数値化してログを残して再配置できるがゆえに「死」が希薄化し、「死後の世界」の有無を巡って対立が起きた世界です。
難しい理由は以下のとおりです。
物語の中核となる要素がミームであること
ミームというのは進化生物学者リチャード・ドーキンスによって名付けられた概念で、文化における遺伝子と考えていいと思います。
このミームというのが物語では重要な要素になっているのですが、ミーム自体がかなりわかりにくい概念です。
馴染みのない固有名詞が多い
ビオヴィス、模倣子行動学(ミメティクス)、カーゴ・カルト、アコーマン、統集派(モデカイト)などなど、オリジナルの言葉や意味、概念が多数出てくるほか、登場人物も多いし、名前が一定していない人物もいたりするので、かなりそれらの情報処理に脳のちからを消費させられます。
4つの物語が交錯して進む
本作では文化人類学者イリアス・ノヴァク、模倣子行動学者のヨハンナ・マルムクヴィスト、何者かとチェスのようなゲームを続けるベータ・ハイドリ、そして地元の潜水技師タヤらの視点で進みます。
ただしこれは解説にも書かれているように、物語のテーマに即して、意図的に物語を「断片(フラグメンテーション)化」しているためです。
どちらにしろわかりにくいことに違いはありませんが。
ということで、表紙の可愛い女の子に騙されて読み始めると、想像以上に玄人向けのハードなSF作品であり、そんなに分厚いわけではないのに読むのに時間がかかるとわかるでしょう。
また、ストーリー的になにかドラマティックなことが起こるわけでもなく、読み終えたあとにエンターテイメント的なカタルシスが得られるわけでもありません。
本書は早川書房で復活された第2回SFコンテストの大賞受賞作ですが、なるほどSFマニアだったら楽しめるかもしれませんが。
とはいえやっぱり紹介したくなるという点では、きっといい作品なんでしょうね。
ちなみに、『ニルヤの島』の文章で著者が気にかけたことについては、このあたりの記事を読むとよくわかります。
すくなくとも一回読み切っただけでは理解できないでしょう。
ただ、個人的になんとなく嫌いじゃないので、柴田氏の別の本も、機会があったら読んでみます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?