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【”後編”アドラー心理学から紐解く”信じる”ってなんだろう?〜無償の愛の正体〜】
最近朝がさらに寒くなってきてるように感じます。
なぜでしょうか早朝から記事を書くのは好きなんですが、とてもホットコーヒーが飲みたくなるんですよね。もしくはホワイトモカ。。。。
みなさんはスタバのドリンクでは何がお好きですか?
私は最近は抹茶ティーラテにアーモンドトフィーシロップ変更のショット追加オールミルクのドリンクが大好きです。
やっぱり、冬っていいですよね〜自然が静かになるというか静寂そのものが心地よく感じれる冬って私は素敵だと思います笑
まぁ落ちを言えば今年オーストラリアにいくので一年中夏なんですけどね笑。
さて!今回は以前投稿した”信じる”がテーマの記事の後編です。
無償の愛はどこから?
先に言っておきますが今回のテーマのキーワードは”共同体感覚”です。
この共同体感覚の意味としては、他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられることを表します。
ここで他者を敵だと見てしまうパターンと上にも挙げたように他者を仲間だと思うこの2パターンにはどのような違いがあるのでしょうか?
まずこの違いにおける注目点がいくつかあります。
まず1つめは”自己受容”です
自己受容とは自分ができることとできないことを受け入れるということ。
そして2つめが”他者信頼”です。
これは、他者を無条件に信じること。
3つめが”他者貢献”です。
仲間である者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと、つまりは貢献すること。
このように3つの注目点があります。
ここで前回/今回のサブタイトルの無償の愛の正体に迫ります。
注目してもらいたいのが、3つ目の”他者貢献”です。
ここで私は”仲間である者に対して、なんらかの働きかけをしていくこと、つまりは貢献すること。”と記しています。
もしこれを『あれっ?自己犠牲じゃね?』
と思われた方がいればなかなかいい着眼点だと思います。
ここにサブタイトルの秘密が隠れています。
ここには”誰かの役に立っているという価値を実感する”という自己犠牲とは全く異なった心理が働いています。
つまり!
『”私”を捨てて誰かに尽くすことではない。”私”の価値を実感するためにこそなされるものである。』
このように記事を見ていて気づいたことはありませんか?
あなたの身近にいるあの人を
そうです。母親です。
今回のサブタイトルの正体は母親にありました。
さて、少し深ぼって話していきましょう。
まず、多くの場合母親は子供達が自分の手伝いをしてくれるのではないということを知っています。
しかし、子供の食べ終わった食器、汚れた衣類の洗濯、夕食、おもちゃの片付けなど様々な本来なら自分がしなくてもいいようなタスクも背負うことになります。
しかし、多くの母親はこのような状況に対し、相手に対し私が何ができるのかを常に考え実施しますね。
例え上記に挙げたような本来自分のする必要のないタスクも自分なら何ができるか?を常に考えているからこそ、ストレスなく難なくこなすことができるのです。
さらに、ただ、機械的にこなあすのではなく、先ほども述べた自分を受け入れる”自己受容”ができているからこそ、裏切りを恐れずに”他者信頼”ができるわけです。
そして、他者に無条件な信頼を寄せて人々は自分の仲間だと思えているからこそ”他者貢献”ができるわけです。
全体を大まかにまとめて結論づけると
『人生の目標は共同体感覚である』
ということです。
それを最も顕著に表しているのが、母親なんです。
だからこそ、無種の愛なんです。
ここまで記事を書きましたが、私はこの要因だけで母親の愛を語るのは言葉数、いや、表現できる方法がないほどあると思います。だからこそ無償なのでしょう。
みなさんが無償の愛を感じる瞬間はどのような瞬間ですか?ぜひコメント欄で教えてください。
それでは今回はここまで!