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『きみの声、打ち上げ花火で聞こえない』ベタな真夏のほんものを見て

電車に乗っていたら、一瞬どこかで花火が上がるのが見えた。
沿線のどこかで花火大会をやってるらしい。

最後に花火大会に行ったのっていつだっただろう。
たぶん、社会人なりたてくらいの頃に地元の友達と行った地元の花火大会が最後だ。
そして今後はもう花火大会に行ける気力がない。年々増す夏の暑さと人混みに挑む体力はない。


それでも、花火大会に甘酸っぱい思い出くらいはある。
友達とのおしゃべりに夢中になっていたら、手を繋いだ見知らぬカップルに突っ込んじゃって「私のせいでふたりが手も気持ちも離れたらどうしよう?!」と喚いたり。

友人たちと一緒に行ったはずが、出会った友人カップルに「二人だけだと気まずいから一緒にいて!」と頼み込まれて。
野暮はしたくないと必死に断ろうとしていたら、その間に友達に撒かれたり(「みんなを見失ったから探しに行くわ!ごめん!」と逃げて、近くのコンビニで合流した友人たちにキレた)。
ああそうだ、小さい頃は、母やおばあちゃんの自転車の後ろに乗せられて連れて行ってもらったこともあったっけ。


それでも折に触れて思い出すのは、いつかの花火大会で『誰かの恋が終わる瞬間』に立ち会ったことだ。

私が誰かを振ったわけじゃない。誰かの告白現場に立ち会ってしまったわけでもない。
でも、終わらせてしまったのはたぶん私だった。



高校最後の、夏の花火大会がその日だった。

たぶんどの地域や学校にも「一緒に参加する二人は公認のカップルになる」みたいなイベントがあると思う。私の地元では、そのイベントが夏休みの花火大会だった。

少し歩けば同級生や先輩後輩に会いまくるから、会った人たちが自然に「そういうことね」と認識して、周りにも広まっていくあれ。私と彼氏もベタな夏デートに繰り出した一組だった。



屋台をしばらく散策して、花火が始まるから見えるところに移動しようと歩いている時だった。高校の同級生の女の子が向かいからやってきた。

彼にとっては中学からの同級生だから、その子に「おー、◯◯じゃん!」なんて楽しそうに声をかける。

私と彼女は同じクラスになったことも、話したこともない。完全なるただの同級生なので、私はそこには加わらない。でも二人が同中で仲がいいのも知っていたから『まあ会えば話すよねえ』と、空気になってただそこにいた。


お前は誰と来てんのだとか、誰々と会ったよとか。あとは彼女も浴衣を着ていたから、似合うじゃんとか。そんなことを言ってたのかな。

それに彼女が受け答えをする。立ち聞きはよくないと半分くらいしか聞いてなかったけど、少なくとも「彼女を差し置いて何しゃべってんの」なんて噛み付く要素なんてない、当たり障りのない同級生同士の会話だった。

でもきっと、それが彼女の恋の終わりだった。
彼女の恋を終わらせたのは、たぶんその時そこにいた私という存在だった。



気付くきっかけは、その半年後くらいにやって来た。

卒業も間近になって、「いよいよ進路が分かれるけど今後どうしよう」なんて話を彼としていた時だ。

彼は「実は中学の頃、両思いみたいな感じだった子がいて。でも進路が別れるかもって勇気を出せなくて後悔したから、もう今度は後悔したくない」と語り出した。


自分に好意がある人のことって、告白がなくてもうっすら分かると思う。特に思春期の女の子にはそういう能力がある。
互いに好意があるならなおさらで、男の子だって「この子は俺のこと好きなんじゃないか?!」って分かるようになる。
その時の二人もそんな感じだったらしい。恋愛に疎くて超絶鈍い中学生男子がそう感じてたと言うなら、たぶんほんとに両思いだったんだろう。


だけど男の子のほうは「相手の好意を感じて好きになりかけていた」という芽生えたてのかわいい好意だった。
だから進路が分かれるかもと思うと、距離を縮めたりはっきり言葉で伝えたりできなかった。自分の気持ちに確証も持てなかったし、そもそも受験でいっぱいいっぱいだった。

しかも女の子の方は成績がよくて、男の子は合格できるかちょっと怪しかった。
さらに女の子は別の高校に行く可能性があったから、「もし付き合っても高校が離れたら結局うまくいかないんじゃないか」と、男の子は余計に動けなかった。
(まあそうだよね、中学生なんて学校どころかクラスが離れるだけでキツいこともある。そんなもんだ)


じゃあ女の子の方が動いたかというと、彼女はたぶん、自分から告白するんじゃなく彼に動いてほしかった。(中学生の女の子だもんね。好きな人に告白されたいって憧れあるよねきっと)
結局何も始まらないまま、二人は中学を卒業した。

結果的に同じ高校に進むことにはなったけど、距離を縮めきれなかった二人にはもう「じゃあ高校に合格したら付き合おう」なんて空気もなかった。
だから卒業のタイミングで、他の同級生が女の子に告白した。動かなかった彼にしびれを切らしていた女の子は、告白された同級生と付き合った。

ーー以上、すべて男の子こと、当時の彼氏談。女の子目線だと物言いがあるかもしれないけど、とりあえず私が聞いたのはそれがすべて。

とにかく「だから今度は『進路が分かれたら距離も離れるかも』って不確かな理由で手を離したくない」、彼が引っ張り出してきたのはそんな話だった。



本来ならその時の私は、かわいい彼女として「ありがとう!嬉しい!私もだよ」とか言うべきだったんだろう。

でも残念ながら、実際は頭の中で推理小説みたいにぱちぱちとピースが嵌まっていて、その時にようやく「あれってそういうことだったの?!」と腑に落ちて内心で絶叫していた(とりあえず卒業後もお付き合い継続を選びました)。

だって、彼が名前を出さなかったその女の子は、花火大会で出会った彼女だと確信できてしまったから。

あの日私が立ち会ったのは「当時付き合っていた男の子を、長い間好きでいた女の子」の恋の終わりだった。



確信できた理由は、女の勘とかじゃなかった。私なりの根拠を述べる。

ひとつ、彼と女の子が「同じ中学出身で仲が良い」ことは、ちょくちょく話しているのも見て知っていた。
ふたつ、女の子側に「高校に入ったときに彼氏がいた」ことも耳にしていた。学校行事とかで彼氏と一緒だったのも目にしていた。

みっつ、私の高校は地域ではトップだったので、そこに合格確実なのに他の高校に行く理由なんてほぼなかった。
強いて挙げるなら文武両道ではない進学校だったから、そこに入れるのに入らないとしたら「部活で学校を選ぶガチ勢」だった。

そして最後に、私は本当にたまたま、「彼女が部活を理由に他の高校に行こうとしていた」ことを知っていた。


彼女はある部活のエースだった。
そしてその部活は、私の部活より引退が早かった。

花火大会からさかのぼること数ヶ月前、部活の引退を目の前にセンチメンタルな気持ちになっていた私は「もう高校での部活を終えたみんな、どんな気持ちだったんだろう」と同級生のブログを読み漁っていた。

彼女が所属している部活のブログも読みに行った。
友達の記事をほっこり読んだ。的外れなことを言ってないか不安だった、私のメッセージを喜んでくれていて嬉しかった。ずっと頑張っているのを知っていた元クラスメイトの記事には胸が熱くなった。
めちゃくちゃ短文だったり、テンプレートのような文章で終わっている記事には「高校の部活への思いもっとあるでしょ?!もっと熱く語ってよ!」と謎に地団駄を踏んだ。顔と名前しか知らない同級生の、熱く思いを語る記事を読んでびっくりした。


ひとつひとつ目を通しながら、「私もこんな風に悔いを残さず引退するぞー」と決意を新たにした。

順番に同級生の記事を読んでいく中で、彼女の記事も読んだ。
エースらしく部活の思い出、後悔や感謝が綴られていたその中に、『本当はこの部活の名門校に行こうか悩んでた。でも私は、この高校のこのメンバーと部活がやれてよかった』そんなことが書いてあった。

「うちの高校に入る学力があっても、うちを選ばない可能性があったんだ」と、その時にはっとしたから印象的だった。


その記事を思い出したら、「彼と同じ中学で今も同じ高校にいる」「少なくとも過去には両思いだったくらいには交流がある」「別の高校に行く可能性があった」女の子なんて、彼女しかいなかった。

そしてそう気付いたら、ほかの記事もパズルのピースが嵌まってしまった。


あの夏の日のことだった。
花火大会のあとも「みんな花火大会に来てたのかなー、誰が誰と来てたんだろう」なんて、知ってる同級生のブログを覗いていて。彼女も花火大会の日のブログを書いていた。

誰と一緒に行って、何を食べて、楽しかったなんて日記。その最後に数行書かれていた意味深なメッセージが印象に残っていた。

『たったの5文字だった。だけど、そのために頑張った』
『中学の頃から、大好きだったよ』


女子中高生がよくやる、メッセージの最後にポエムみたいな私信を書くやつ。
「大好きだった」とまで言ってるので、届ける気のない誰かへの恋文だろうとは分かった。
でも彼女と親しくない私には知らない誰か宛なので、大して気にも留めていなかった。

強いて言えば「彼女ががんばって伝えたのか、がんばって聞けた『5文字の言葉』ってなんだったんだろうな」
「5文字って限られるようでいろいろあるもんな」って思いを馳せた程度だ。その5文字を考えてみたのは覚えていた。



でも、半年経って高校卒業の春に意味が変わった。
彼と中学時代に両思いだったはずの女の子。その子が中学の頃から好きだったという相手。 

いや、あれ、たぶんほぼこの人じゃん。

だって、互いに好きだと分かってたけど始まらないまま終わった相手が、ずっと近くにいたら気になっちゃうじゃん。
互いにもう他に相手がいて、付き合いたいとかもう一回あの頃みたいにとまでは思ってなくたって。たった数年じゃ忘れられなくてもおかしくない。
むしろ始まらなかったからこそ、「あなたは私の青春そのもの」みたいに別枠で好きでい続けられたのかも。そう勝手に思ってしまった。


うっかり答え合わせをしてしまっても、彼女への嫉妬とか優越感みたいなものは全然なかった。
彼も(苦い経験としての未練はあるかもしれないけど)過去の人として話していたし、彼女も「大好きだった」と過去形だったから。それすら半年以上前のことだった。

だいたい、そんな切なくて可愛らしい、もう終わった恋物語に外野が言えることなんてない。
ただただ思った。「彼女にとってすごく大事だったはずの、あの日の二人の会話ってどんなんだっけ」「その中の5文字ってなんだろう」って。


彼が何の気なしに言ったかもしれない、浴衣姿への「似合ってる」「かわいいね」とか。
彼女が過去を振り切る言葉として言ったかもしれない、「お似合いだ」「仲良くね」とか。

それに彼が返した「ありがとう」かな。彼氏と来ていたのかもしれない彼女へ「お前もな」とかかな。
もしかしたら彼が「◯◯じゃん」と名前を呼んだ、声掛けそのものだったのかもしれない。

二人が交わした会話、それを5文字分切り取ったら、そこには彼女の数年分の想いが込められていたはずだった。


たった5文字なのに。
その大事さを知るわけがなかったし、知る権利も聞く術もないし、そもそもちゃんと聞いていたわけじゃないから、私はそこにいたけどその5文字を知らない。

彼は知っていてもいいかもしれないけれど、彼女が伝えなかったことを伝える権利は私にはない。

だいたいこの推理を聞かせるのは骨が折れたし、二人のことを知らずに得ていた情報とはいえ、面識もない彼女の情報をブログから推理したなんて我ながらちょっと気持ち悪いなと思った。


だから、あの何気ない会話が長い恋が終わった瞬間だってことは、彼女と私しか知らない。
そして長い恋の終わりを託された5文字だけは、すぐ横にいた私も知らない。

もしかしたらあの日は「言われたいと思い続けた5文字を諦めた瞬間」で、私はその5文字を聞けるわけなかったのかもしれない。
恋が終わる瞬間に立ち会ったことだけは勝手に知っているけど、彼女に確かめる術も、はっきりした記憶もない。



誰かの「恋が始まる」瞬間なら、実は見たことがある人がわりと多いんじゃないだろうか。

のちに恋人になる二人が初めて会話を交わす瞬間とか、急に打ち解ける瞬間に立ち会ったときとか。
少なくとも私は何回かある。共に居合わせた友達と「今なんか始まったな」と無言でアイコンタクトをして、数ヶ月後に「やっぱりな」とまた無言でアイコンタクトをしたこともある。

だけど「恋が終わる」その瞬間って、たぶん当人同士しか知りえない。
公開告でもしない限り、「この恋はこの時に終わったんだ」なんて知る機会は、当人同士にしかないはずだ。
むしろ、本人以外誰にも知られないままで終わる恋だって無数にあると思う。

なのに私は、誰かの恋の終わりをたぶん知ってしまった。けっこうな時間差だったけど。
もしかしたら、もう本人すらも「あの時に私の恋が終わったな」なんて覚えてないかもしれない。あの瞬間はいまや私しか知らないかもしれない。

知ってしまった私は、今もあの数分間に思いを馳せてしまう。
あの時、あの子はなんて言葉でその恋を終わらせたんだろう。


確かに私はその場に居合わせたはずなのに、彼女が恋を終わらせた瞬間を知っているのに、恋を終わらせた言葉を知らない。

思い出せないから、何度も振り返ってしまう。知らないから、勝手にずっと後悔している。
だって何度振り返ってももう、そのたった数文字は一生知らないままだ。


あの恋の最期の言葉がなんだったのか。
一生答え合わせができないまま、たぶんこの先もずっと、ときどきあの数分間をサイレント映画みたいに何度も思い返す。




P.S.
この記事を読んで「私、昔こんなことあったな」「そんなブログを書いた記憶がある」と思った女の子がいたら、そしてあのブログのメッセージの解釈が全然勘違いだったら、ごめんなさい。
それを十数年覚えてる気持ち悪さを許してくださいとは言いません。

でも、あの時の私にとって、そこまで全力で恋してたあなたはとても可愛くて、少し憧れの存在でした。勝とうとも勝てるとも思わないくらい、キラキラした別世界の人でした。

青春時代に出会った、とても可愛かった恋する女の子の存在をずっと覚えてて思い返してたこと、その可愛さを誰かにも知ってほしくなったこと。それだけはどうか許してください。
でも全部全然見当違いだったら、キモッて笑ってください。勝手にずっと、忘れられなくてごめんね。


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