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深まる対馬の謎〜日本原始の「天道信仰」ってなんぞや??
新しい年を迎えたと思いきや、あっという間に2週間近く経ちました。
今年こそは「週一投稿を目指します!」と言いたいところですが、冬が一番忙しい季節につき、心に小さく誓っておくだけにしますね(笑)。
本題に入る前に…
noterのISSAさんが私の記事「実り豊かな秋の高千穂〜神々との優しい時間」をマガジンに追加してくださいました。
ISSAさんは多彩なる考察力と文章力で、自然や歴史などについて記事を書かれている方。そんなお方の目に留まり、とても嬉しいと共に感謝しつつご報告です。
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さて本日、昨年末に旅した「長崎県対馬」で、現地でビビビっときたことを、もう一つお伝えしたいと思います。
対馬も壱岐島と同じく、めちゃくちゃ神社が多い島でした。
ガイドブックによると、江戸時代には455社もの数が存在したとされ、今でも神社庁に登録されている神社は130社ほどあるそうです。
その中で私のアンテナに引っかかったのが「天神多久頭魂神社」と「多久頭魂神社」です。
それは何かと言いますと、「天道信仰」という対馬固有の信仰の代表とされる神社で、どちらとも社殿がありません。
山自体が御神体となり、石を積み上げて祭祀を行うという簡素なことから、神社の原型ではと言われているそうです。
ではここで「天道信仰」について、簡単に説明しますね。
およそ1300年ほど前のこと、海の向こうから高貴な女性がやってきて、太陽の光を浴びて子を産みました。
その生まれた子は、父を太陽とすることから「太陽の子=天道法師」と呼ばれ、不思議な力を宿していました。その力というのは人々の病気を治すことだけではなく、天皇の病気までをも治したとされています。
この天道法師さまが、対馬独特の神「多久頭魂神」とされているそうです。
この「多久頭魂神」を祀る神社が、まるで対のように南北にあり、そのうちの一つが島の北部にある「天神多久頭魂神社」(見出しの写真)です。
お伝えしたように社殿はなく、石積みで聖地を結界する古い形態をいまだ残していました。
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この石積みの石塔の奥に、遥拝所らしきものがあり、立ち入ることはできないそうです。
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なぜ??
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そして不思議なことに、本来ならこの奥に信仰する「天道山」が位置するはずなのに、この奥にあるのは違う山だったのです。
これは帰ってから判明したのですが、入口となる鳥居が南側と東側の2方向にありました。参道らしきものがある東側から入ると、その正面にドーンと山が聳えています。
てっきりその山が御神体なのかと思いきや。
再度載せますね。
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鳥居の先に石塔が二つあり、その奥にあるのが遥拝所
天道山を望むのは南側から。
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そしてもう一つが対馬の南・豆酘に鎮座する「多久頭魂神社」。
こちらの御神体は「龍良山」とされ、もともとは社殿の無い神社でしたが、神仏分離の際に、観音堂を「龍良山遥拝所(拝殿)」としたそうです。
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この豆酘という集落ですが、本当に小さな集落で人口約600人程度。しかし紀元は古く、弥生時代からの村で神社が10社あるそうです。
しかも半世紀ほど前には、日本建国神話の源流があるとされ、民俗学者から注目された時代もあったとか。
そして気になったのが「不入坪」と呼ばれるエリア。
ここは現在でも縄で仕切られている禁足地で、境内の一部には石積みのお墓だと思われるものが存在するそうです。
それが何かわかっていなく、入ってしまうと何が起こるかわからないため、絶対に立ち入ってはいけません。
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右上にその禁足地があります
今回の旅では、ここについての知識が全くなかったので、「ただただ龍良山の原生林に触れ、何か感じるかも」と思い訪ねてみました。
太古から息づく巨木の中に鎮座するその存在感は、ただものではない!何かがありました。
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御神木の左の肩のあたり、よーく見ると何やら赤いものが??
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よくわからん?
これは旅から戻ってきてから調べてわかったのですが、御神体である「龍良山」が、すごい存在でした。
この山は、そもそも天道法師さまが神事を行なっていた場所で、その山中には「八丁郭=天道法師のお墓」と「裏八丁郭=天道法師の母君のお墓」があり、山全体が「天道信仰」の聖地だったのです。
そのため「オソロシドコロ」と呼ばれ、長い間、仏僧と山伏以外入れない禁足地でした。
現在は、一定のルールの元に禁足が解かれているそうです。
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今回の旅では、対馬固有の「天道信仰」という日本原始の神話が今も息づいているということだけわかりました。
すごいなぁと感じたのは、今もそれが伝承され信仰されているということです。
しかし、まだまだ謎だらけ…
また次訪れるときに向けて、「ジグゾーパズルのピースを作っておくべし」と、心に誓ったのでした。