日本最大の砂嘴(さし)・|野付半島〜今も残されている大自然と歴史
先週約1週間に渡って、道東方面へ旅をしてきました。
道東方面は数回訪れたことがありますが、全て「山」絡み。
阿寒岳歩くためにオンネトーでテント泊とか、知床連山縦走であっという間に駆け抜けるとか。
観光的なものは?と考えると強いていえば、十勝の「六花の森」と「画家・神田日勝」美術館」くらいでしょうか。
この地方は、ずぅーっと「ゆっくり訪ね歩きたいなぁ」と思っていて、今年ようやく実現することができました!
とにかく色んなお店や場所、体験、人など、全てが面白かったので何を書いてやら悩みまくりましたが、今日は「日本最大の砂嘴・野付半島」をお伝えしますね。
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正直この名前は、なんとなく知っていましたが…
東京に住んでいるとき、全く私の頭の中には存在していませんでした。
数年前、北海道のローカルニュースの映像でたまたま見て、「ええっ??ここが本当に日本なの?」と驚愕し、私の脳裏にバシっと刻まれたのです。
日本の北海道の東の果て。
日本地図どころか北海道の地図を見たとしても、よーく目を凝らしてみないと、見逃してしまうほど微かな陰影。
しかも、まるで間違って出ちゃったようなトゲみたいで。
拡大した航空写真を見てみると。
日本最大の砂嘴で、北海道遺産やラムサール条約にも登録されています。
ちなみに砂嘴とは、岸沿いに流れる海水によって運ばれた砂が、長年にわたって堆積してできる土地のこと。
沿岸流が流れ込むので、鳥のくちばしのような形になるそうです。
自然が作り出す、これぞ造形美ですよね!
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半島の最後のクルンの手前あたりのある白い建物が「野付崎灯台」。ここまで車で行くことができます。
その手前の直線が終わるあたりに、「野付半島ネイチャーセンター」があり、そこで色々と情報収集もできますし、見どころの一つでもある「トドワラ」へも歩いていけます。
トドワラとは、海水に侵食され立ち枯れたトドマツが並んでいる姿です。
侵食が進んでいるため、湿地や干潟に少しずつ変わりつつあるそう。
ということは、、、
そうなんです。
年々続く地盤沈下や風雨の影響で、これらの木々の風化が進み、100年後には失われるかも知れないとも言われているのです。
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この世の果て…とも言われる野付半島ですが、その歴史には意外と面白いものがあります。
最初の地図を見てお分かりかと思いますが、現在は北方領土となってしまっている国後島まで、その距離わずか16kmです。
今では想像もできませんが、1799年当時、この砂嘴上には人の営みがあり、幕府より国後島へ渡るための要所として、野付崎に通行屋が設けられていました。
1830年〜43年頃から、その通行屋で支配人やアイヌ語の通訳をしていた加賀伝蔵氏は、アイヌの人々と協力して農耕も行っていたそうです。(加賀家文書より)
また19世紀の初め頃には、鰊の漁場として栄え、春になると出稼ぎに来る大勢の人々で賑わい、番屋や蔵などが多数建てられました。
人々が集まれば歓楽街ってとこでしょうか。
「野付崎にキラクという歓楽街があり、遊女もいた、鍛冶屋もあった」などの伝説もあるそうです。
私が住んでいるニセコは、道央に入るのですが、北海道としては西の方です。
うちから距離にして約500kmほど東へ行くと、こーんなにも違う景色や文化、歴史があるんだなぁと日本の面白さを、また一つ噛み締めることができました。
あれ以来、ニュースやら何やらで北海道の地図が出るたびに、目を凝らし、野付半島を発見すると「やんややんや」と歓声を上げる私がいます。
もしご興味あれば、ぜひ一度お出かけくださいね!
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