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被災者の視点から見た住まい探し 熊本地震で経験した困難とその後

このたびの石川県能登地方を震源とする能登半島地震により、亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された方、そのご家族および関係する皆様に心よりお見舞い申し上げます。
今回の記事は、熊本地震を経験した当事者インタビューのため、地震に関連する状況や画像が掲載されています。ご無理のない範囲で読み進めていただけますと幸いです。

地震、台風、豪雨、津波などが頻繁に発生している日本。これらのリスクに対処するための備えや防災対策が進められていますが、ご自身の身の回りではどうでしょうか。
今回は、震災体験時の住まいにまつわる経験、みなし仮設からの移動や一般賃貸住宅への住み替え、行政の支援などを、熊本地震の被災当事者に当時を振り返ってお話を伺いました。記事を通して、天災に備え、また万一のときにどう動くかを自分事として考えてみてほしいと思います。


お話を聞いた被災当事者の方

※1 ボランティアビレッジ…国内外から集まったボランティア専用の、宿泊施設や食事、ボランティア要請の情報が提供される場所。 

 


ルームシェアで体験した熊本地震の本震

画像はイメージです

――被災してから住まいが安定するまでどのように過ごされていたかをまずお聞きしてもよろしいでしょうか?
 
当時、知人が借りていたアパートの一室をシェアして暮らしていたのですが、震災で半壊し、直後からは被災ボランティアのためそこから離れて生活していました。
ある店舗の一角を間借りさせてもらい、ボランティアの拠点にしつつ、自前の寝袋で2週間ほど過ごしました。
 
その後、郊外にできたボランティアビレッジの運営をするようになり、敷地内に設けられた事務局(3坪ほどの小さなプレハブ)で仲間と寝泊まりしながら24時間対応する生活が半年続き、のちに市街のみなし仮設住宅(※2)(以下、みなし仮設)へ入居しました。
 
県や市が借り上げた物件に入居する選択もあったのですが、被災者が探した物件をみなし仮設とする、とされていたので私はマンションの一室を借りました。
みなし仮設の期限だった2年間ギリギリまでそこで過ごしたところで、仕事の都合で市内の別エリアの一般の賃貸物件に引越しをして今に至ります。

――被災時はルームシェアだったとのことですが、当時どういった様子でしたか?
 
震源のすぐ近くにあった物件でした。
4月14日に発生した前震のときは別の場所へ出向いていたため、揺れた後に自宅に戻ったら室内がぐちゃぐちゃになっていた…といった状態でしたね。
16日の本震時は自宅にいて、寝ているところにガラス窓が覆いかぶさるように落ちてきて挟まれたり、冷蔵庫が倒れたり、床の隙間が2cmほど開いたり、といったことが起こりました。

――その当時、困難や不安に感じたことはありましたか?
 
大学生だったので時間があったのと、ボランティアに注力していたため、“被災者感のない被災者”といった感じで、自分のことに関しては特段困ったと自覚したことはありませんでしたね。

※2 みなし仮設住宅…災害などによって居住できる住家を失い、自らの資金では住宅を確保できない被災者に対し、地方公共団体が民間賃貸住宅を借り上げて被災者に供与する住宅。またその制度。申し込みには原則として罹災 りさい証明書が必要。

被災するとは思っていなかったがゆえの知識不足

――被災時に借りていたルームシェアの、事務的な部分についてお伺いします。家賃の支払いなどはどうなりましたか?
 
契約者は知人でしたが、家賃の支払いは自分たちでしていたので、震災以降は賃料の支払いはなくなっていました。

――賃料の日割り返還はありましたか?
 
いいえ、戻ってこなかった気がします。当時はかなりの混乱もあったので、契約者の知人から今後の契約についての説明があった覚えはあるのですが、記憶が定かでなくて。
ただ、賃借形態が特殊だったので、契約者の知人も大変だったと思います。
そもそも自分たちが被災するとは思っていませんでしたから、被災すると家賃が日割りで返ってくるなんて事前知識もありませんでした。

――家にあったものを取り出すのは、どのタイミングでできましたか?
 
ボランティアで忙しかったのもあって、私物を持ち出せたのは震災から2ヶ月後の6月でした。ですが、その時期に熊本が記録的な大雨に見舞われて、洋服や冷蔵庫などが水没してしまいました。踏んだり蹴ったりでしたが、本当に重要なものは手元にあったのでなんとかなりました。
家財保険は契約者が自分ではなかったこともあって、申請することも思い浮かばず、今となっては知識不足が否めなかったと思います。
防災知識として、家財保険・地震保険についても申請の仕方を知っておいたほうがよかったでしょうね。

――住まい探しにおいて、行政からの支援や手助けは何かありましたか?
 
いろいろと教えてもらったのですが、結果的にすべて自分で探すよう言われました。「支援が必要だったら言ってください」と言われたこともありましたが、当時はなんとか生きていけてたので、あまり行政の支援を頼る気持ちもなかったです。

――みなし仮設への入居に関してもでしょうか。スムーズに見つかりましたか?
 
ルームシェアしていたアパートが大規模半壊で赤札(応急危険度判定〈※3〉によって最も危険と判断された建築物に貼付される赤色の紙)が貼ってあったため、役所で「罹災 りさい証明の手続きをしてください」と勧められて提出しました。
そこで市役所の方から、上限が6万円の補助が出ること、物件は自分で探すことなどの説明を受けて「物件を探してくださいね」と言われ、自力で6万円以内の家賃の物件を探して書類を提出し、みなし仮設に入居…という流れでした。

――そうだったんですね。みなし仮設は事前に行政で借り上げて提供するものだと思っていました。
 
自分で探す方が大半だったと思います。特に当時は仮設住宅の建設も間に合っていなかったので、“避難所から移って部屋をみなし仮設で確保して生活を落ち着かせたい”と、みなし仮設入居のニーズがかなり高かった印象があります。
仮設住宅ができたのも、いちばん早いところで夏、大体4~5ヶ月ほどかかっていたでしょうか。
 
幸い、私の場合はちょこちょこ空き物件を見ていたり、友人が探してくれたりしたので、探し始めてから1ヶ月程度で見つけることができました。その後もスパッと契約まで進みましたね。
被災から半年以上たっていましたから、不動産会社も通常どおり営業をしていて、最も物件が枯渇していた震災直後と比べたらだいぶ物件の数も増えていたと思います。

※3 応急危険度判定…二次災害を防ぐため、地震で被害を受けた建築物について、その後の余震等による倒壊や落下・転倒危険物等の危険度を、応急危険度判定士の現地調査によって表示する制度。「危険(赤色)」「要注意(黄色)」「調査済み(緑色)」の3種の紙で分類・表示される。

「物件がない!」「いつちゃんとした暮らしができるだろう」。ほかの被災者が抱える住まいの不安

画像はイメージです 

――ボランティアもなさっていたとのことで、周りの被災者の方の住まいの困り事も伺っていたのではと思います。ほかの方々はどんなことに困られていましたか?
 
住まいに関して不安に感じる方は多かったですね。
先ほどのみなし仮設についても、被災直後は物件が少なかったので、みなし仮設を求めていた皆さん一様に「物件がない!」と大変そうでした。
 
余震が多かったのも相まって、先が見えない状況に「いつ自宅が解体できるんだろう」「いつ新しい家が建てられるだろう」「いつちゃんとした暮らしができるだろう」…そんな話も耳にしました。
ただ、熊本の方はそれ以前の天災の経験もあって、自力でなんとかしよう、頑張ろう、と踏ん張っている人が多かった印象です。
 
また、被災者の方の引越しのボランティアをしていたときに聞いたのは、被災した家から物を運び出すのに苦労する、というものでした。
当時、倒壊しかけた家を取り壊すには、私財をすべて外に出さないと家を解体してもらえないというルールがあったため、家の再建など次のステップに進むためにはまず物を取り出さなければなりませんでした。
当座の住まいを探しつつ、家財を出さないといけないのは大変そうでした…。
 
女性の方やお子さんがいる家庭では、被災初期は停電もあったのでミルクを作れなかったり、お風呂に入れなかったり、避難所での着替えに難を要していたり、といった声も耳にしました。


災害を体験してからの暮らしの変化と「こうしておけば」

――被災経験を振り返って、ご自身のその後の生活に変化はありましたか?
 
窓から離れたところにするなど、寝る場所の位置を変えました
ほかにも、家具の配置などにも気を配る、いつ何が起こってもいいように水や防具を備蓄する、車の燃料を頻繁に入れる、といったことをするようになりましたね。
 
加えて、自分の生活圏のハザードマップを見るようになりました。
「この地域は水害が起きそうだな」「ここはそうでもないな」と、目にすると気に留めている気がします。

――「しておけばよかった」「こういうものがあったら」と思う事柄はありますか?
 
困ったことがあったら助けてくれた人がいてくれたので、たいていのことは対処できたのですが行政の書類の書き方がわからず、困ったことはありました。
熊本地震のために新たに作られたのではなく、すでにフォーマットが出来上がっている書類のようでしたので、有事の際の書類の書き方の一覧などがあるといいかもしれません。

――不動産会社やオーナー、不動産ポータルサイトに対して期待することなどありますか?
 
不動産会社やポータルサイトに関してですが、部屋探しの際、特にウェブ上で探す場合にはハザードマップがすぐに参照できるといいですね。ハザードマップはわざわざ探しにいかないと見られないですから。
物件にとってはもしかしたら悪条件になるかもしれませんが、備えあれば憂いなしで、物件と一緒に閲覧できたらもっと便利ですよね。
 
オーナーさんに対しては、居住者との接点がもうちょっとあるといいな、と感じています。
私の体験では直にやり取りすることがなく、強いて言えばご近所の方々と被災したことで初めて交流が生まれた程度でした。
振り返ると、状況が混沌としていたからこそ、接点があればより便利に物事が進んだだろうなと思います。
今は管理会社の方が間に入ることが多いでしょうが、直接話す機会があると、お互い寄り添えるかもしれませんね。 

――記事の読者に向けて、経験者からのアドバイスがあればお願いします。
 
地震に限らず、災害は本当にいつどこで起きてもおかしくありません。災害において「まず自分の周り半径1mの人を助けるのに必要なものを備えておく」とよく言われていますが、そのイメージを強く持つ、それが難しくても考えるようにするといいですね。
身近な人を確実に守ることができれば、亡くなる人を減らすことにもつながります。
突然起こる災害を前に難しいかもしれませんが、“自分の今の生活をしっかりと見つめて、いかに死なないように生きるか”―そういったことを他人事ではなく自分事として捉えてもらえたらなと思います。


おわりに

住まいの変化を時間の経過とともに伺え、より被災後のイメージが湧いたのではないでしょうか。
また、インタビュー内で触れられたハザードマップを見ながらのお部屋探しは、LIFULL HOME’SのPCサイト・スマートフォンサイト・アプリ内で、洪水リスクのハザードマップに対応しています。お部屋探しの際に、一度体験してみてください。
契約書の見直しや地域情報も、住まい探しや、住み替えのときだけでなく、普段からでも簡単にできるはずです。


【参考リンク】
国土交通省 災害時における民間賃貸住宅の活用についてhttps://www.mlit.go.jp/common/000232197.pdf

LIFULL HOME'S PRESS「知っていますか、避難所からその先の暮らし 被災時の住まいの選択肢」
https://www.homes.co.jp/cont/press/rent/rent_01124/

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