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理想のキッチン検討会・第3回座談会④歴史編 昭和後半以降(システムキッチンの時代へ)

5.昭和50年代以降のキッチン

阿古:その後の話ですが、私たちが育った昭和50年代にシステムキッチンが日本に入ってくるんです。最初の日本のメーカーがヤマハ、今はトクラスになっていて、ワークトップ1体型というので、汚れにくい、キッチンが美しいというので人気が出たんです。全部そろって収納も扉で隠されているので、キッチン収納に全部入れると何がどこに入っているかわからない、と批判された。
 独立型のキッチンも増えたので、家族が入れない「女の城」になっちゃった。たぶんそこで料理が豪華になっているんです。昭和50~60年代になると、一汁三菜がデフォルトになる。それまで一汁二菜が一般的なんです。システムキッチンが主婦独りで使いやすいものになったことと、献立が豪華になったことは関係があるんじゃないかと思います。その時代について、綛谷さん、広瀬さん、何か情報をお持ちですか?
広瀬:私は昭和37年生まれなので、昭和50年は13歳でした。そう言われてみると、確かにそんな感じはしなくもない。その頃コンベックというオーブンを親が買いました。私がチーズケーキを焼きたかったから、「買って買って」とお願いして。ケーキの本もいっぱい買ってもらいました。父は土日に自分で魚をおろして酒の肴を作るのが趣味なんですけど、日常の料理には全くタッチしていないので、母が1人でワーッと料理している感じですね。料理も豪華にはなってきていたかも。情報がいろいろ入ってくるから「あれも作って」「これも作って」となっちゃうんですよ。
綛谷:多分、『non・noクックブックス』が81年ぐらいなんですよ。『non・no』と『with』両方で料理記事を出していて、一緒に別冊にしていました。
阿古:城戸崎愛さんが「ラブおばさん」で有名になった頃。フレンドリーで愛されたんですよね。
綛谷:そうそう、そうなんです。
阿古:昭和50年代ぐらいは、オーブンを入れてお菓子を焼くことがすごく流行った。私も小学生からお菓子を焼くのだけ始めました。その前は「天火」と呼ばれた箱型のものがありました。
綛谷:コンロの上に、ポンとのっけるやつでしょ。
阿古:そうそう。それこそ『主婦の友』で何回もオーブン特集を組んでいて、うちの親もクリスマスのローストチキンとグラタンを作りたいためにオーブンを買ったんですよね。引っ越しをしたときで新居ができたので気が大きくなって買っちゃったとか言って、お菓子作り始めたら娘のほうがハマった。当時はお菓子のレシピ本も充実していましたし、スーパーでも、大阪ガスのショップでも製菓材料をいっぱい売っていて、オーブンには分厚いレシピ本がついていた。多くの家庭ではオーブン料理は発達せず、お母さんか娘かあるいは両方がお菓子を焼くことに使っていた。
綛谷:バレンタインにチョコを贈ることが流行った。私は昭和39年生まれですが、中学に入ったときは、女子全員がバレンタインに作って好きな男の子に渡していた。
有賀:一汁三菜になったのは、冷蔵庫の大きさも影響しているのではないでしょうか。それまでは冷蔵庫にしまってもそんなに食品が持たなかった。だからその日に買って使う。冷蔵庫が大きくなって性能がよくなると、つくりおきがきく。お惣菜も全部作るのではなく、ひじきを煮たのが冷蔵庫に入ってて。うちも私が小学生ぐらいの頃に冷蔵庫が大きいのが入った気がするので、それが要因になっていたと思います。
阿古:それもあると思います。3ドア冷蔵庫が出てきてはやったんですよね。コンさんが見せてくださったのは、冷蔵庫が扉1枚でフリーザーも入っている初期のものですが、60年代後半に冷凍冷蔵庫が登場。80年代に3ドアになる。家電の充実は大きいかもしれませんね。生活が豊かになって料理も豊かになる。
有賀:ご飯も保温できる炊飯器が出ました。それまでは蒸し器でふかしてた。コンロがそうすると1個つぶれるから品数が減るのかな。家電はやっぱり大きい。
阿古:今から考えると日本が一番豊かだった時代
有賀:心のゆとりみたいな面でも、料理楽しもうというワクワク感にあふれてた気がします。
綛谷:ものすごく前向きよね。
阿古:一方で働く女性も増えているので、カツ代さんが大人気になるんですよね。時短の最初の大きなムーブメント。台所の担い手が、手をかけてオーブンでお菓子とかいろいろ作る人がいる一方で、手早くやりたい人に二極化します。『オレンジページ』が出てきて一世を風靡する。オーブンは80年代に建った賃貸物件でときどき内蔵されているんですが、だいたいは死蔵されていて「使えるのかどうかわかりません」という状態なんです。
この時代にハウスメーカーの現場と主婦の人に取材した調査が『台所空間学事典』という本にあります。主婦が求めているものと、メーカーが考えていることがずいぶん乖離しているんです。主婦はもっと料理を楽しみたいと思っているのに、メーカーは負担だと思っているはずと考えている。メーカー側は20~30代の男性が中心で、家庭を持っていない人もいるし、持っていても家事はしないみたいな感じだったそうです。
綛谷:それは広瀬さんの妹さんが、そういう現場を生きてらしたのでは?
阿古:その後じゃないですか。女性の社会進出と言われた均等法後では?
広瀬:妹は3つ下なんですが、均等法が始まった頃から新卒からずっと勤めて。あんまりそういう話はしていなかったですね。
ちょっと話が違うんですが、85、86年ぐらいに、『クロワッサン』は料理でものすごく当ててたんです。女性編集長がいまして、「みんなイカを食べている」みたいなタイトルで。冷凍しても味が変わらないんです、イカは。その特集を何度もやって何度も当て。その後に私は、87年に中途で入ったんですが、書籍部ができまして。「『クロワッサン』を使って料理本を作るから」と言われてやりましたよ。『クロワッサン』を全部ひっくり返して、イカとかアジとか鯖とかの特集をもとに本を作りました。イカの企画の当たり方はすごかったんですよ。そのときの編集長は社長にまでなりましたから。
阿古:ホームフリージングのブームでもありましたよね。
広瀬:そうですね。その頃の記事をまとめて私が作った本が『総菜は創造』というタイトルだったんです。
阿古:主婦が一番熱心に料理をした時代かもしれません。時短を求めている、仕事を持っている人も含めて。それが90年代になって、私たちの世代が結婚したときに、料理苦手、したくない人が目立ってくる。1990年に創刊されて一世を風靡した『すてきな奥さん』を調べたことがあるんですが、とにかく時短したい、ラクにしたい。遊んで帰ってきて料理は手軽にしたい、ということをあっけらかんと言う女性たちが出てくる。当時の時短って全然時短じゃないんですけどね。
有賀:今みたいに女性がフルタイムで働くっていうよりは、女の人も働くけどパートだったり、圧倒的に専業主婦が多かったと思うんです。時間がなかったというより、一汁三菜というイメージにつぶされそうになっていた人が多かったんじゃないかな。90年代に雑誌のレシピがいきなり簡略化された。
阿古:今の基準で考えると確かにそうなんですけど。最近まで、子供ができると退職せざるを得なかった。あと、90年代の主婦は遊びたい。外で遊ぶのが当たり前の青春時代を過ごして遊び足りないわけで、その時間がない。それから、そろそろ親から全く料理を習いませんでした、という人たちが主婦になっていく。主婦になることと仕事と両方あって「どうやってやるの!」とパニックになる。当時としては十分に切実だった。しかも、世の中には「このぐらいわかって当たり前でしょ」というレシピが中心でした。
綛谷:でもあの頃、ベターホームの料理教室がめちゃはやってましたよね。
阿古:だからそういうところに行くんですよ。ちゃんと教えてくれるから。
広瀬さん、本を持って登場。
綛谷:わーすごい!立派。上製本
広瀬:これ88年。『クロワッサン』読者のオリジナルおかず250種なんです。記事から私が書き起こしました。
阿古:スペアリブのマーマレード煮、最近バズったレシピじゃないですか。「家事ヤロウ!!」でも出てきて。
広瀬:これは分量を書いてないんですよ。素人だから分量は誰もできない。これが「イワシとアジとサバ」
綛谷:その家の味に合わせて、ということですか?
広瀬:素人さんだから、アイデアだけでレシピは作れないわけです。でも、醤油と砂糖と酢を入れればいいのね、ということだけわかったら、読者は作れたんです。文句なんか来なかった。今は分量見て作ることが主流になっちゃったけど。
阿古:流れを戻そうとしているのは、もしかすると滝沢カレンさんかもしれないですね。
広瀬:私はもともと分量がない話が好きなので、いわゆる料理本はあまり作らないし、料理でも読み物系のエッセイを作るのが好きなんです。
有賀:『クロワッサン』は実用ということより、考え方とか思想を伝えたいというのがあるから、そういう風にしていたんじゃないでしょうか。
広瀬:たぶんあると思います。料理本と首っ引きで何か作るのはもう嫌だ、という背景はあるんですよ。新鮮なものじゃなくていいから、冷蔵庫にイカを入れておけばいいんですよ、という。
綛谷:それと対極で『オレンジページ』が生まれて、新米主婦が巻末のおかず集を1個ずつ作っていく。

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 次回はこれからのキッチンについて語っています。お楽しみに!

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