「おかあさんの持病」のこと
先日、癇癪を起した息子に泣きながら言われた。
「お母さんは暇そうでいいよね」
ASDの息子といえども言ってほしくなかった。
というか、お前ほんとにASDなんか?と問い詰めたくなるくらいの
母の急所へ的確なダメージを与えてくる。一番きつい。
いろんな要因が複合的に重なったとはいえ、鬱で苦しんでいる人にはこたえた…。忙しい中でも、発達関連の勉強をしたり、資料をつくったり、関連機関と交渉したり連携したり。
なにより母親業やってると家事があるから完全オフってならないもんで。そりゃ回復も時間かかるわけで。
「休む」ことをなかなか積極的にできないなりに休んでいたらこの仕打ち。
「どの口が!」「言ってんねん!!!」
と叫びたくもなる。(叫ばないけども)
それからしばらくは昏々と眠り続け、家事をほぼ放棄し、(でもだれもやってくれない洗濯は溜めてからやる)食事は買ったもので済ます。
お布団の中に積ん読を持ち込んではみたものの、もちろん活字など読めない。ので、ひたすら眠る…。
そうして数日。
悩みに悩んで決めました。子どもに、おかーさんには「持病」があるということは伝えよう、と。
そしたら少し気持ちの向かう先が決まったようで、少し軽くなりました。
今日は朝から山奥の秘湯(1300年前から湧いているらしい)に浸かり、ひとりで椎名林檎を熱唱しながらドライブし、風土記に載っているという神社に参拝し、丁寧につくられた美味しい定食を食べたら、ちょっと元気になりました。(頂き物のロクシタンのシャンプーを使ったから、頭からずっといい香りがするのも幸せマシマシだと思う)
温泉の休憩所のマッサージ機にほぐされ、畳に横になれる程度の四十路のおばちゃんになれていて良かったと思った本日です。
今日は息子をお迎えに行った後、スタバに連行しようと思います。そこで
1)お母さんには持病がある。でも詳しくは話したくない
2)死ぬ病ではないから不安にはなりすぎるな
3)でも今は充電期間で無理はきかない。休むことが仕事
4)いつかまた、暴れん坊のおかあちゃんに戻る予定なので乞うご期待
ということを伝えようと考えています。さてどうなるかな。
不安の強い息子に伝えることは正直不安です。でも自他境界がわりと曖昧な息子なので、ずけずけと私のテリトリーに入ってくる。きちんと理論立てて説明することは必要かな、と思ったのです。
正直この数日は腐ってました。
誰のせいで、どんだけ犠牲にしてきたと思ってんだ、私には選択肢がないのか、みんなからどんだけ置いてけぼりで。。
ずっとぐるぐるしてたけど、今日、お湯につかって口からエクトプラズマみたいに魂出ちゃってる感じの時に思ったんです。改めて
「体壊しても、普通の生活が出来ている。衣食住に困ることなく、子どものやりたいこともやらせられている。上を見たらきりはないけど、これからのチャンスに向けて、今できることからやればいいか」
と肩の力が少し抜けました。
小学生男児の癇癪時の言葉を真に受けるな、とか
認知が歪みすぎ、とかは自覚してるんで。それを経ての切り替えです。
焦ってもしゃーないか、と。
いま出来ることを整理してやっていく。
それしかないかなーとようやく気持ちの区切りがつきました。
ぼちぼち前進していく次第です。
がんばりすぎず、がんばらんとね。