何者でもない、心地よさ
意識のホームポジションを愛にするようになって、
あまり余計なことを考えなくなってきました。
頭の中で、おしゃべりが始まると、
「それって本当かな?」
「それはどんな自分で話しているのかな?」
と一人でツッコミを入れます。
つんつん、「それ何よー? 」
それ、を話し続けたくないなぁ、と感じると、
意識を愛に戻して、心の温かさを感じます。
そして、目の前のことに集中します。
なんのためにやるのか、想います。
「世界のお役に立ちますように」
意識を愛に置いていると、
思考が少なくなるので、
自我な自分、をあまり感じなくなる感じ。
自我と愛、の間に、
観察者的なツッコミ役がいるのが、
今日のわたしの内的世界です。
以前は、自我な自分からすると、
自分が無くなってしまう抵抗感があった、
のかもしれない。
自我が少ない、あるいは無い、無い状態、
あ、そういうの、無我、というのかな?
今まで、
思考で自分たらしめていた、と思うのです。
しかし、愛をホームポジションにすると、
存在そのもの、今の行いそのものである…
そんな感じかなぁ。
空も海も大地も鳥も魚も猫も、何者でもない。
そういう感じかなぁ。
何者でもない、心地よさ。
今ここに心を込める、軽やかな嬉しさ。
お読みいただき、ありがとうございます。