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大臣のプロコン

最低賃金時間額をどう考えるべきか、大臣に説明を求められた時、役人は十分に準備ができていた。できるだけ状況を平易に説明しようと、例を挙げてこう語った。

「ある男性労働者がいるとします。
彼は、必要最低限の休息だけを取り、残りすべての時間を労働に捧げます。
労働以外に発生する『余分な時間』を計算するとこうなります。

起床し、身支度にかかる時間が0.5時間、
朝食に0.5時間、
通勤の往路に1時間。
昼食と休憩を兼ねる時間が1時間、
通勤の復路に1時間。
夜食と休憩を兼ねる時間が1時間、
入浴に0.5時間、
就寝前の休息に0.5時間、
睡眠時間が4.5時間。

『余分な時間』の合計は10.5時間です。
1箇所で13.5時間勤務は難しいので、最低2箇所の場所で働くことになります。
すると、移動時間が発生し、これを0.5時間とします。
余分な時間の合計は11時間になります。
つまり、彼は1日に13時間働ける計算です。

彼は、休日を週1日のみとし、週6日勤務します。
これを時間に換算すると週78時間、
一年を52週間とすると、
年4,056時間が労働時間となります。

日13時間労働、週6勤務、睡眠時間わずか4時間半、年間休日わずか52日。
まさしく、命を削るかのような、過酷な労働と言えるでしょう。
もちろん、怪我や病気などに罹らない前提です。

ところで、彼の働く我が国の首都の設定する最低賃金時間額は1,163円です。
彼の受け取る時給がこの額と同一だとします。
彼の年収は幾らになるとお思いになりますか?

471万7,128円です。

昨年の我が国の男性の平均年収は545万円でした。
彼が命を削って、限界まで働いても、平均に届かないのです。
それが、現在定められている最低賃金時間額の実態です」

大臣はうんうん頷いて聞いていた。そして言った。

「なるほどねぇ。いや、頑張れば結構稼げるものだな、最底辺の人間でも。だって、私の年収の凡そ6分の1だよ? 私は、最底辺の人間の6人分しか価値がないのか。いや、参った。最低の時給はいくらだって? 1,163円? 多過ぎやしないか? 1,000円くらいでいいだろう。私なんて、学童の頃、時給300円で近所の飯屋の皿を洗ったものだ。贅沢は敵だよ。それに、人件費で苦しむ企業のことも考えなくちゃならん。企業が潰れりゃ、そもそもそんなにたくさん働きたくても働けないんだから」

役人が呆然としていると、大臣は締めくくりにこう言った。

「私からは以上だ。なるべく世間の風当たりのないよう、漸次、その最低の時給を減額の方向で是正したまえ。下がってよろしい」

役人が去ると、大臣はぶつぶつ言いながら、キャディバッグからパターを出した。パッティングマットを秘書に命じて敷かせ、アプローチを小一時間練習すると、ようやく機嫌を直し、今夜どの料亭に誰と行くかを考え始めた。ノートを広げ、万年筆で簡単な表組を書いた。大臣は、最近あるベンチャー企業のCEOから教わった、Pros & Consのやり方を気に入っていた。彼は周りにこんなふうに吹聴していた。

「プロコンをご存知かね? あれは優れものだ。頭というのは、自分では整理できているつもりでも、大概は混乱している。プロコンはそれを教えてくれるのだよ。客観的であること、それが思考というものには肝要なのだ」

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