学校の勉強は将来役に立つのか


「学校の勉強なんて将来役に立たない」

これを言ってしまう残念なオトナが世の中には割といる。

そもそも人間には脳という思考や判断などをしてくれる器官があるのだが、彼らはそれをご存知なのだろうか。

ご存知ならば学校の勉強は少なからず役に立っていると言えよう。


私はたくさんの子どもたち、またそこそこの数の大人達を見てきて、脳と運動器官は似ているところがあるのではないかという気がしてきた。多分調べたらそういう研究結果は出てくると思う。知らんけど。

脳も運動器官も使えばある程度発達するし、使わなければ衰える。
さらに言えば、何か1つの使い方をしたときに複数の能力が向上する。逆に言えば、単一の能力のみを向上させることはできない。

例えば腕立て伏せをしたとき、大胸筋、上腕三頭筋、三角筋前部、腹筋などの体幹が主に鍛えられる。

例えば連立方程式を解くとき、鍛えられるのは単に計算能力だけではない。
方程式が表しているのは何かしらの規則やそれが存在し得る領域である。
それを2つ、つまり異なる2つの規則を連立させて共通点を探すのが連立方程式であって、こういう思考は社会に出てからも日常的におこなっている。
つまり、連立方程式をすると、計算能力だけではなくて比べる力や共通点を探す力など、社会に出てからも必要となる多様な力を鍛えることができる。

ちなみに連立方程式がわからない人はきちんと学校の勉強をしたほうが良い。わかる人は学校の勉強が役に立っていると思われる。

それでは社会で役に立つ教育を義務教育で受けていたのにも関わらず、何故役に立たないと思ってしまうのかといえば、正しく学習しなかったからだろう。

先程例に挙げた腕立て伏せでいえば、正しくない姿勢で雑に腕立て伏せをしても期待するほどの結果は得られない。しかしながらそれで結果が出なくても、結局のところ雑な腕立て伏せをした人が悪いわけだ。
これを教育に当てはめると、、つまりはそういうことである。

私個人としては学校の教育は人生においてかなり役に立っていると思う。
だって役に立たないって言ってる人がどんな人かを見たら、、ね?大抵そういう人だもの。みつを

結論、教育が悪いのではなく本人の性格が悪いのである。

他人のせいにしたっていいことないよ。ね、ハ○太郎?
ヘケッ!


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