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いついかなるときも愛は与えられている

暇つぶしのためにこの時空間の幻想世界の中に居るのではない

今も尚、その学びは深化し続けていると言うことができます。

言い換えるなら、この世界を知覚し続けているかぎり、その深化は留まることがないといえましょう。

ようするに、天国(実相)を反映した世界を知覚するようになるまでは、その深化は終わることがないということです。

この世界がそのように知覚されていないのであるならば、そのように知覚されるようになるまで、私たちは訓練していくことが求められているということです。

その天国(実相)を反映した世界のことを、コースでは「実相世界」と呼んでいます。

確かに、この世界は自我の思考体系が作り出した幻想であることにちがいないありません。

だからといって、私たちは死という瞬間がやって来るまでの単なる暇つぶしのためにこの時空間の幻想世界の中に居るのではないということを覚えておきましょう。

何が言いたいのか?というと、

たとえ、実相、天国、ワンネスを一瞥したとしても、今も尚、この分離の世界を知覚しているのなら、あるいは、すべてを愛の反映として、ワンネスの反映として知覚されていないのであるならば、学ぶべきこと、そして訓練して修得していくべきことがあるのだということです。

この世界は目覚めていくための「教室」であり「学校」なのだと、私たちはこの世界をそのように見ていくようになるのだということ、そして、真にこの世界から目覚めていく者はそのようにこの世界を見ているのだということを知っておきましょう。

そう、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、その「実相世界」に至るプロセスとして、知覚するものすべてが愛の表現か、愛を求める呼びかけか、というふうに知覚されるようになってくると教えてくれています。

そのように知覚されていないならば、そのように知覚されるまで訓練していくということです。

そうなっていくとき、知覚していものすべてが自分の教師であることを悟るようになります。

そのときあなたはいついかなるときも愛は与えられていたことを知るようになるでしょう。

それによって、ここが完璧なる天国(神の国)であったことを認識するようになるでしょう。


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