あなたは自分が正しいことと幸福であることのどちらを好むだろうか
私たちは自分の見ている世界と闘っている
自分が見ている外側の世界に対して「これでいい、OK」とは見てないなら、つまり、不平不満を抱いているとしたなら、
それは、闘っているということです。
なんでこうなのだ、、、そうじゃない、、、あぁなるべきだ、、、こうでなければならない、、、あぁでなければならない、、、というふに、外側の世界を変えようし続けているということが闘っているということなのです。
では、私たちは誰と?何と?闘っているのか?
というなら、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の観点から言うなら、神と闘っているという言い方をします。
この世界にいる私たち誰もがそうなのです。
神と闘うために、神を攻撃するために、そのためにこの世界は知覚されていると言っても過言ではありません。
本当はこの世界は非実在であるにもかかわらず、「闘い」が可能な場所(夢)としてこの世界は作り出されたといえます。
その証拠に、自分を取り囲んでいる周り(人、状況、出来事)を見るならば、これではダメだ、、、それではいけない、、、それは間違っている、、、あいつが間違っている、、、あいつがいけないのだ、、、あれがこうなればいい、、、あれがこうなってほしい、、、などなど、目の前の世界を変えようとして闘っているわけです。
目の前の世界が、無(虚偽)とはまったく知覚されていないわけです。
それどころか、目の前の世界を自分の平安を脅かそうとする敵に見えている状態になってしまっています。
そのように見えている世界は、まさに「戦場」です。
そのようにして私たちは目の前の世界との攻防(闘い/戦い)に釘付けになってしまっているといえます。
なので、まるで心休まることがありません。
解決しなければならない問題が次から次と起こってきては、その攻防(闘い/戦い)はまるで尽きることがありません。
私たちの「人生」というものが、そういうものとなってしまっています。
この世界にいる私たちにとってそれが当たり前であり、不平不満を抱かずに生きることなど不可能のようにさえ思えます。
私たちは目の前の世界をそのように知覚しています。
だからこそ、コースの学びを通して、私たちはそのことを知る(悟る)ことが求められているといえましょう。
目の前に知覚している世界は自分ででっち上げた心の投影であるということに気づかないかぎり、どうやって私たちは救われるというのでしょう。
そう、自分が見ている世界を信じているかぎり、希望もなく、絶望しかない、ということを悟らないかぎり、そのストーリーは終わることはないということです。
闘いを終わらせるための鍵となるもの
では、どのようにして、自分が見ている幻想のストーリーを終わらせることができるのでしょう?
どのようにしたら、この絶望的な状況から脱却できるのでしょう?
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