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自分の内側の葛藤と抵抗がわき起こってくるということは学びがはじまったということ

コースを学んでいく上で知っておくべきこと

私たちは、幸せになりたい、幸せでありたい、と思って生きています。

それはこの世界にいる誰もが抱いている共通した想いであるといえます。

もちろん、コース学習者たちも当然ながらそうなりたい、そうありたいと思ってコースを学んでいるわけです。

ところが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)が教えていることを理解するようになると、この世界には自分を幸せにしてくれるものなどない、希望も光もない、ということが明らかになっていきます。

コースの観点から見れば、この世界は「神から分離した」「天国から離れた」という想念によって作り出された世界なわけで、つまりは、この世界は天国の対極として作られた世界であるわけです。

この世界とはまさにそういうところなのだということを私たちは理解することになります。

するとどうなるのか?というと、幸せになるために歩みはじめたコースの学びであるはずなに、絶望感、虚無感を抱くようになるといえます。

そして、コースを学んでいくことに対して、葛藤と抵抗がわき起こってくるようになるのです。

コースを学ぶことに嫌気がさしたり、つらくなったり、コースを投げ出したくなるということが起きてくるのです。

コース学習者であるならば、大なり小なり、少なからずやそんな経験をしたことがあるはずです。

何が言いたいのかと申しますと、コースを学んでいく上でそういうことが起こるのは当然なことであり、まったく驚くことではないということです。

むしろ、コースはそのような霊性の道であるということを知っておくと良いでしょう。

どれだけ真理を恐れていることか。
どれだけ目覚めることを恐れていることか。
どれだけ神の愛を恐れていることか。

それがいかに狂っているか!

コースが教えていることを理解するようになればなるほど、そのことが自覚/認識されるようになっていきます。

コース学習者の私たちにとって、そこからが本当の意味でのコースの学びのはじまりだと言うことができます。

ようするに、自分の内側の葛藤と抵抗がわき起こってくるということは学びがはじまったということであり、もっといえば、沸き起こってくるもの(闇/自我)と対峙していくことがコース学習者の私たちがしていく実践なのだということです。

では、どのようにそれらと向き合っていけばいいのか?

そのことについて教えてくれているのがコース形而上学であるわけです。

だからこそ、コース形而上学の学びと理解が必須なのであり、コースはそのような霊性の道なのだということを知っておきましょう。


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