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私とあなたは別々ではない、自分と他者は別々ではない

私たちはワンネスであるならば

真理からいえば、私たちは一つ(ワンネス)です。

それは、「私とあなたは別々ではない」「自分と他者は別々ではない」ことを意味します。

それは、真に目覚めた者、悟りを生きている者の知覚の仕方だといえます。

ならば、ある誰かは目覚めていて、誰かは目覚めてはいないということがあり得るでしょうか。

もしそのような知覚をしているとしたならば、それは「私たちは一つ(ワンネス)です」という真理を否定していることになります。

そう、真理は、

誰かが目覚めていないならば、自分も目覚めていないということですし、

言い換えるなら、

自分が目覚めるならば、みんなと共に目覚めるということです。

それが、真理(ワンネス)を反映したものの見方、考え方であるわけです。

もし「自分は目覚めていて、みんなは目覚めていない」というふうに見ているならば、その「自分」こそが目覚めてはいないということです。

自分とみんなは別々ではないわけですから。

コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)では、それを「自と他の共通の利害」という言い方をします。

それが神の教師たちの知覚の仕方であり、真に癒された者たちの知覚の仕方だといえます。

私たちは一つです。

それが、真理です。

そのような知覚の仕方を教えてくれている一元論のスピリチュアリティが、コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)だと言うことができます。


誰もひとりで十字架にかかることはない。しかしまた、誰もひとりで天国に入ることはできない。(W-p1.134.17:7)

奇跡講座/中央アート出版社

私が癒されるとき、私ひとりが癒されるのではない。(W-p1.137)

奇跡講座/中央アート出版社


それこそが、真理(ワンネス)を反映した見方、考え方であるということです。

つまり、”together or not at all”(共にか?もしくはまったくそうでないか?)」ということです。

そして、そのような思考体系(見方、考え方)こそがコースが教えてくれている優れたところであり、それが他の非二元のスピリチュアリティとのちがいだと言うことができます。

そう、私自身、これまで過去においてさまざまな非二元(一元論)のスピリチュアリティの教えに触れてきたわけですが、私が知るかぎりでは、このようなワンネスを反映した知覚について分かりやすく教えてくれるスピリチュアリティに出会ったことがなかったといえましょう。

私がコースというスピリチュアリティ(霊性の道)が優れものだと感じる理由はそういうところでもありますし、それが私がコースという霊性の道を歩んでいる所以だといえましょう。


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