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アシッドコーヒー生誕秘話

こんにちは、
アシッドコーヒーの塚田健太です。
渋谷の公園通りからアシッドがなくなって寂しい思いをしています。

新店舗を探し、探し、年内にはオープン予定を目指しておりました。
先日ついに物件を契約し、いま工事の段取りをアレコレしています。
まだどんな店舗になるかわからないので、とりあえず最低限なつくりにして、どんどんアップグレードできたらなと思っています。

さて、アシッドコーヒーではメルマガを始めます。
3日坊主にならないように、スタッフに監視してもらい、塚田が文章を書きます。



コーヒー豆のあれやこれやについて語っていきたいと思うのですが、第一回目の今回はアシッドコーヒーの歴史について、経緯について、どんな思いでアシッドコーヒーが出来たのかを、語ろうと思います。

オープン当初のMr塚田とスタッフ

まず、アシッドコーヒーが出来る前に前身となったお店、、、超遡ると、店主がコーヒーを飲み始めた時のことでしょうか。

店主は高校生ぐらいから芸能活動を始めます。
といっても初めはレッスンばかり。恵比寿のレッスン場に週2で通っていました。
高校2年生のときに仕事が入り始め、高校に通うことが疎かになりました。馬鹿が加速しました。
大学受験のシーズンになり、今までの遅れを取り戻そうと必死に勉強しました。眠気覚ましでカルディのインスタントコーヒーを濃いめに溶かして毎日飲みました。これがコーヒーとの出会いです。受験は現役で全落ち。浪人が決定。浪人するならバイトして家に金を入れろと親に言われたので近所のスターバックスで働くことにしました。体系的にコーヒーを学ぶはじめての経験です。イタリアンローストをカッコ良く飲むオレ。ふふふ。

大学に入り、芸能活動は辞め、ダンスサークルに入りました。ここで出会ったジョナという男は今でも仲良し。実はアシッドコーヒーのロゴはジョナに作ってもらったものです。

バセドウ病を発症し、ダンスを諦め、ロクシタンカフェ渋谷店でバイトに勤しみました。タケシさんという先輩がラテアートを教えてくれたのですがラテアートの練習をしすぎて店長に怒られたので、デバイスタイルという1万円くらいのエスプレッソマシンを買って家で練習しました。

コーヒー豆を色々なところで買ってみるようになりました。味が全然違う。
フェリーチェ
ノージー
フレスコ
ポールバセット
ゾッカ
ダブルトール
ベアポンド
ストリーマー
マキネスティ
アマメリア

当時はまだコーヒー屋は少なかったです。グリッチもフグレンもオニバスも猿田彦も無いのです。色々な人にお世話になりました。

独学では限界がある、とポールバセットに入りました。
面接は現グリッチのオーナーキヨさんがやってくれました。

君は何故コーヒーが好きなんだい?
キヨさん、それは愚問ですよ。女の子を好きなことに理由なんて無いのと同様、コーヒーを好きなのに理由なんて無いですよ。

と生意気を言ったら受かりました。
実は佐々木さん(現パッセージコーヒーのオーナー)が裏で僕のことを推してくれたようです。
ここで初めてちゃんとカッピングをしました。

バリスタよりもっと稼げる仕事に就きたいなと思い、就活をするも全落ち。一旦バックパッカーでもするか、と旅に出ました。

飯を食ってウンコして寝れば、生きていられる。生きることとはそういうことだ。と何かを悟り、サラリーマンは向いてないなと、やっぱりプラプラとバリスタをすることにしました。バリスタならばギリ一生懸命できました。

浅草のハッチという場所で間借りカフェを始めます。ライトアップコーヒーの焙煎機を借りて豆を調達。1日の売上500円だったこともありました。商売って厳しいなと知りました。

そんななか、グリッチコーヒーがオープンすることになりました。マジで働かせてください。とキヨさんに頼み、土橋(現ignisのオーナー)の後押しもあり、働けることになりました。ガンガンやりました。

大学時代の友達は就職して社会人やってました。僕はまだ大学生。何をやってるんだコイツはと思われたでしょう。一流商社とか羨ましいな、俺にゃ無理ネ。

元同級生たちは社会人して暇っぽいです。学生の頃と違いやりたい仕事がなくてクサクサしている。なんかイベントやろうと、何度かイベントをしました。
場所が欲しいねとなって、東中野の2階を居抜きで借りられることになり、カフェガレッジをオープンしました。ガレージ、シリコンバレーの企業のようにみんな最初は素人、ガレージから始める。ビレッジ、ムーブメントには群れることが必要、集う場を提供する。カレッジ、アカデミックに突き詰めて教えていく。

をコンセプトにガレッジという名前をつけました。
バーテンダー長谷川さんが辞めてからバー営業も僕が引き継ぎ、お酒も覚えました。

そして2年の月日が流れ去り街でベージュのコートを見かけると、指にルビーのリングを探すようになりました。大学生の時少し働いていたカフェのオーナー黒崎えっちゃんから誘われ、渋谷パルコにガレッジ2号店を出店し、武蔵小杉にダンテをオープンし、ヒーヒー生活していました。

ある夜、パルコに顔を出すと、えっちゃんからこうお誘いを受けました。
ねーねー、健太くん、良い物件あるんだけど良かったら見に行かない?
えー、これ以上店舗増やすの無理っすよ、いいです。
えー、見に行くだけ見てみてよ。知り合いにカフェやりたい人いない?
あー、土橋が物件探してたな。じゃあ5分だけ。

物件を見て、写真を撮り、土橋に送りました。

んー、なんか俺がやりたいかも。
土橋に送った写真を送信取り消しし、
俺がやります。と答えました。

アシッドコーヒー爆誕です。

グリッチのコーヒー豆を使ってコーヒーだけのスタンド。コーヒーカクテルのイメージが付きすぎていたガレッジと違い、純粋にコーヒーだけをできるようになりました。

そして2年の月日が流れ去り、R&D Espressoの本田さんからアイリオをゲット。
自家焙煎を始めました。

そして2年の月日が流れ去り、アシッドのビル都合で出る羽目になり、物件を探して今です。

独学のコーヒーオタクから始まり、先輩たちから学び、店を作りながら学び、結構長い道のりを経て今のコーヒー知識ができてきました。

お客さんにも楽しんでもらうために次回以降はコーヒーについて話してきたいとおもいます。
お楽しみに!!

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