網膜剥離手術から4年経ちました
こんにちわ、約1年ぶりの投稿です。
4年目の所感を書くため、昨年の投稿を見て笑っています。
なぜなら見事に”ひっくり返っている”から(笑)
混乱するご時世、私個人もいろいろ選択を迫られる中、それでも周りに助けられながらのらりくらりと生き進んでおります。
眼について
まず、手術から4年。左眼についてです。
去る2024年5月某日、レーザー手術をしました。いわゆるYAGレーザーというやつです。
手術に至った経緯としては、数年前から、何なら手術後結構最初のうちから、
「眩しくて白っぽく霞む」
という症状が続いていて、眼科に相談するも
「疲れですかね」
「手術後なのでね」
「眩しいのは当然ですね」
と、全く相手にされず、これは後遺症みたいなものかと諦めてオーバーグラスを使って凌いでいたんですが、いよいよ普通に見ている景色もぼんやり霞んできたんです。でもそれは左眼だけで見た時。右目で見るとクッキリしてるんです。よほど左眼のカスミが濃くなったんだろうなと。
で、改めて眼科で話したところ、看護師さんの表情がちょっと変わって、具体的に話を聞いてくれたんです。で、色々検査してもらって、主治医から言われたのは「白内障手術の後によくみられる症状で、レンズが曇ってきていますね。レーザーで散らす処置をしますけど、今日は大丈夫ですか?」と。
何の心の準備もせず来てたものの、時間も勿体ないのでやってもらいました。
YAGレーザーについて
処置(手術)をしてもらうために、承諾書のようなものを記載しました。処置とは言え、手術ということで。網膜剥離の際のようなちょっと恐々した感じでは全くなく、待合室で、問診票みたいな感じでさらっと怖いところにチェック。ゆるゆるです。
その後、局所麻酔の目薬を差しました。入ったの?ってくらいこぼれるし、ちょっと不安。
そして暗い部屋へ通されて、レーザーを撃つであろう機械の前に座り、コンタクトレンズのようなものを左眼に装着。なんとも気持ち悪いぼんやりとした視界になって、何となく剥離手術した時を思い出します。
しばらくして先生が一人で来て、
「それじゃあこれからレーザー手術しますね。顎を乗せて、前を見てくださいね。」と。「パチパチしますけど痛みはないですからね」
まず見えたのは白い世界。剥離手術の時はグレーの世界だったけれど、真っ白な視界にパチッとした音と弾ける光。水のようなゼリーのように動くふわふわした透明な泡?がそれに応じて散っていく(広がっていく)のが見えました。
手術はものの3分程度で終わりました。
終わった後、緑色の残像がくっきりはっきり残っていてよく見えませんでしたね。
待合室でしばらく15分くらい休憩して、再度診察。
炎症止めの目薬を差して終了です。
処方されたのは炎症止めの目薬1本。なくなるまで使い切ってくださいとのこと。2週間後に再診でした。
その後の視界
レーザー手術をした後1週間くらいは何となくボヤっとした見え方が続いていました。霞も取れてない感じ。
けれどその後はだんだんと霞が無くなりだして、はっきり見えるようになりました。
光が散乱しなくなったのか、夜間の光の見え方が少し変わったように感じます。
以前よりも光のリングが見えなくなった感じです。これはありがたい!
あと霞がとれたからか、ぼんやりとした暗がりがちょっと見えやすくなった気がします。
はっきり見えるようになったことで、視力も上がったようで、左眼と右眼の視力の差が極端になりましたね。あと昼の屋外の明るさのまぶしさが増したようにも感じます。
ドライアイの件
レーザー手術をする前から、眩しさが極端になり、痛みが酷いことがあり、受診時に調べてもらったところ、眼に傷がたくさんあってドライアイですね、と言われていました。
現在も目薬を続けてはいるものの、こちらに関してはよくわからないというのが現状。今現在はそこまで痛くないので傷治ってんのではないかと思っています。
ただ、緑内障の薬(右目)を差し出してから違和感はあったので、原因のひとつだと自分では思っています。(医者に話したところで違うと言われるので自分なりの解釈)
転居の予定と通勤と車の件
昨年春に実家近くに住み、通勤は車でしていましたが、今年の車検は通せないと思っていたので会社近くに引っ越す気持ちがありました。
が、世の中の物価上昇により当時点からの転居は厳しくなり、じゃあ通勤はバスにするかと気持ちを固めていたところ、色々な偶然が重なって車検が通せそうな話が舞い込んできまして。新車を買うにも納車云々の話もあったのでありがたく車検を通してもらいました。
あと2年(?)は頑張れるんだろうか・・・と、いう事で通勤と車の心配はまずクリア。
眼以外のこと
昨年の秋口、左手首の関節が急に痛みだしました。
年齢的に関節炎みたいものだろうと思っていたので、大豆サプリ飲んだり、湿布やサポーターでなんとかしのいでいたものの、仕事にならないくらいの不自由さにどうしたものかと。
稽古先の先輩から接骨院を紹介してもらって診てもらったところ、「ぜんぶ悪いね~」と(笑)徐々に直していきましょうね、と言われて全身を整体してもらったら、手首の痛みは取れないけれど身体はスッキリ。
初めて整体してもらったんですが、これはこれで疲れが取れていいんだろうなと思いました。(が、保険診療外ですしねお高い・・・)
それでも根本的に手首の痛みが取れたわけでもなく、注射したほうが早い!と整形外科へ。念のためリウマチの検査もしてもらって(限りなく因子ゼロ)ステロイド注射をしてもらいました。
これがもう・・・痛かった。
耳下に麻酔された時も痛かったけど、あの時は重いって感じだったけど、手首は神経にぶっ刺してるようなものだもの・・・
その後2週間後、すっきり痛みは無くなり、サポーターもすることなく、接骨院にも行かなくなりました。代わりに積極的に体を動かしたり、銭湯に行ってあっためたり、体を冷やさないような飲み物飲んだり、結構気を使っていたんですよね。おかげで猛威を振るうコロナも風邪もひかない健康体。
黒豆茶にはまって自分で炒って煎じて飲んでると体調が本当に良かった。私には麦茶や紅茶より黒豆茶が合っているようです。
ぐるぐるめまい
春、昨年も引越し直後にぐるぐるめまいで起きれなかったことがあったんですが、今年の春にも同じ感じで起きれなくなりまして。
それでも昨年よりは弱い感じだったので無理せず寝たり、動いたり。
すぐに良くなったのはどういう状況なのか自分で解っていたからだと思います。それって大事だなと。
再びの痛み
今年の6月ごろから違和感が出始めました。最初はちょっとした違和感、だんだんと親指に力を入れると痛みが強くなり、現在は脱力してぶらぶらと動かしたり、ひねったり、左手を付くと痛くて支えられません。あと力が入らないから袋を開けたり、引きちぎったりができない。
でも動かし方や手首の位置を考えればさほど痛くないので、とりあえず湿布。
稽古時はサポーターを付けて、できるだけ痛まないようにしてもらっています。
本来ならまた注射してもらえばいいんだろうけど、あの痛さはちょっとなぁ。
まあこれも眼と同じでだんだん慣れている自分がいます。痛いなら動かさない。動けないなら違う場所を動かす。合気道の稽古でよく言われることです。
年齢的な体調の変化をこうして目の当たりにして、両親や会社の上司、稽古先の先輩方がいかに元気かというのをしみじみ実感しています。
合気道について
そう。合気道の稽古はなんだかんだと続いています。
レーザー処置をしてからは左眼の見え方がクリアになって視力も上がったため、眼鏡だと左右差が強調されて疲れやすいので、裸眼の方が見えないながらもラクなんです。
そして先生の動きもそれなりに見えてきて、稽古が楽しくなってきまして。
今年の4月に三級審査をさせてもらいました。先輩方に文字通り手取り足取り面倒を見てもらって何とか合格。茶帯をいただいて、袴の着用が認められました。
馬子にも衣裳。そんな感覚。
なかなか慣れない袴の着方を練習するために稽古に行ってる感じがします。
最近は帯の巻く位置を意識して、立ち方(姿勢)をつま先に重心を置くようにしてみて顎を引くというより耳を引くように頑張っています。
腰痛や膝の痛みがあるときに立ち方と姿勢を意識すると痛みが緩和することに気づきました。ちょっと嬉しい習い事の影響ですね。
時間をかけよう 焦らなくても大丈夫
このたった1年で、1年前に思っていたことは都度選択肢が与えられて、今にちょうどいい現状を生み出すことがわかりました。今はすべてのことにおいて断言することはなるべく避けています。
やれるかもしれない、だからやってみたらできた。
今はできない。でもいつかはできるようになるかもしれない。だからそれまで続けてみようか。
それでいいんだなと。
公私ともに表面的には決断の連続なんですが、自分の中ではのらりくらりと真正面から受けるんじゃなくて一回躱して眺めてみるという視点が増えたような気がします。その分ゆっくり生きてる。
家族や友人を含む周囲のことも会社のことも含めて全て自分の生き方の一部なので、きっぱり分けることはできないし、分けたくない。でも相手の生き方も尊重したいから、自分のフィルターを通さないで理解できるように努めていたり。でもそうすると上辺だけっぽくて自分らしくないんだよなぁ、と悩んだり。
生きるということを思うようになったのはここ数年顕著だなと思っています。それだけ色々世界が動いている証拠なんですよね。
きっとまた数か月後には、思いもよらない悩みや選択が生まれるのだろうと思います。覚悟をしつつ、それでも「大丈夫」という思いだけはいつでも見つけられる場所に置いて生きていければと思っている今日この頃です。