「自分を良く見せたい」と思っていた過去を急に思い出す。
最近の私は、「自分を良く見せることができず、ダサさを前面に出すことしかできない」と思っていて、「自分を良く見せたい」と悩む人の気持ちは全然わからないなぁ、と思っていた。
ところが、昨日、「あれ、私も割と最近まで、よく見られたいと思ってなかったっけ?」とふと思い出したのだった。
顕著に覚えているのが、noteを始めたときに、プロフィールに書いた内容。
「航空•IT業界に11年従事」と書いていた。
もともとnoteは、自分が始めた在宅ワークという働き方を、何か始めたいとモヤモヤしている専業主婦の方がいたらオススメしたい、という目的で始めたものだった。なので、過去にどういうことをして今こうなっているのかがわかるほうが参考になるかもと思って書いたものではあったが、
どこか心の中に、
「へへ・・・私くらいの学歴(Fラン大卒)と能力のわりに、悪くない仕事に就いていたよな・・・」という自負なんだか自虐なんだかよくわからない感情で、実際の自分よりも、なんとなく賢く見せられそうな字面だと思ったことを記憶している。
今思えば、これこそダサい・・・
しかし、現在の私の書くnoteは、在宅ワークオススメします、な内容では全然ないし、起きた出来事や、それに伴う感情を書こうと思えば、どうしたってオープンになるし、「良く見せる」ことなどできない…。
特に、自分が何をしていきたいのかを考え、言語化したいと思うほど、今自分が体感していることや、思い出したくない過去の記憶とも向き合わざるを得なくなってきて、良く見せたいという感情は、なんか気づいたらすっかり忘れていた。忘れていたせいで、そう思っていた過去さえ忘れるとは、ムシの良い脳である。
また、そうなってからの方が読んでいただけたり、「スキ」を押していただけている気がして、それがまた大きな励みになっている。「ダサくても受け入れてくれる人がいる…」という安心感か。
もちろん今でも権威性に惹かれる気持ちもあるし、そういったものが自分にあればなぁと思わないわけではない。
でも、「それ以外のものだけで、なんとかしたいな」
今、そういう気持ちでいる。
それ以外のものって、例えば、人間性とか、感性とか、行動とか、そういった類のもの。
今年初めに「2024年にやりたい10のこと。」という記事を書いた。
④の「Kindle出版で自分の課題と向き合う」だが、
書く以前に、自分が抱えていることや、決めきれないことが多く、その壁打ちから、かぜの帽子さんにお世話になること早4か月。
このたび、やっと、書く内容を決めた。
これこそ、「良く見せる」ことは無理なテーマで、恥ずかしくて知られたくない過去を露呈するものなんだけど、書いた先に見える景色をどうしても見たくて、とにかくやってみる。
大安の今日、書きはじめることができて、自分にとって小さくも大きな一歩を踏み出した気がしている。
(ここまで書いておいてなんだけど、文章を締めくくるときは、なんかかっこつけて終わらせたがり)