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寡黙な人に惹かれがち。
10代の終わり頃からだったか。
男女問わず、口数の少ない、控えめな人を好ましいと感じるようになっていた。
一方の私は控えめとは程遠く、早口だし、初対面の人とも臆さず話すし、同窓会や合コンでは、必要に応じて盛り上げようと振舞うタイプだと思う。(空回りも含む)
就職してすぐの頃、たまたま集まった中学時代の同級生8名ほどで、牧場みたいなところに遊びに行ったのだが、はしゃぎすぎたのか帰りの車の中で爆睡してしまった。
「知ちゃんが寝ちゃって、お葬式みたいだったよ」と後から友人にむすっとしながら言われた。この友人はこの友人で自己中極まりない性格だったので、その後縁を切るのだが、その頃の私はピエロ感満載で、「私が盛り上げなきゃ」みたいな責任を勝手に背負っていたし、それをしなかった自分が責められると何も言い返せないほど、自己肯定感は低かった。
そんな自分をどこか情けなく、カッコ悪く思っていたからだろうか。
多くを語らず、初対面で特に緊張感を醸す人を見ると、
「なんとマトモなんだ」
「人間本来のあるべき姿」
「しゃべらないのにその存在感」
と神々しさすら感じるようになった。笑
自分と異なる気質に惹かれるというのが、ことさら自己肯定感の低さを物語っていた気もする。
そんななかでも、「他人に関心のある寡黙な人が好きだな」と気づいていく。下記の図のBであろうか。
![](https://assets.st-note.com/img/1739599399-iPOwZH3DXvWgYfG0xReud76q.png?width=1200)
関わりがいのあるうえに、奥ゆかしい。そんな人たちへのリスペクトが止まらない。話していて気づきが多いのだ。親友、うまくいっていた恋人、Bが多かったような。noteで最近気になる方もBタイプの方が多いような気がする。
どの境界線もくっきり分けられるわけではないだろうが、人への興味が限りなく0に近く、自分自身にのみベクトルが向いてそうなⅮの特に左端あたりの人とは、関わりを深めようがない。とはいえ、その属性の人に何年も告られ続けたり、依存されたりした経験が過去にある。私がうっかり興味を示してしまって、その気にさせてしまうという失態のせいでもあっただろうし、私自身の自己肯定感の低さゆえ隙のあったことも絡んでいただろう。しかし、彼ら彼女らと一緒にいても楽しくなかった。
あれっ、夫はDでは!?
家族なら……そのくらいでもいいのかな(雑な考察)。
なお、自分も属するAのグループ、もちろん自分の属性と同じなので、仲良くなれる要素は満載である。長く続いている友人でAグループの人もいる。何より一緒にいて楽しいし、私がぼんやり寡黙な聞き役でいられるというメリットもある。いや、お互いワァワァかぶせ合うこともあるか。笑
苦手なのはCの人である。
他人に興味がないので、自分のことをしゃべり続けるのだ。
貴重な時間を割いて参加してるボランティアの会合なのに、自分の娘さんが大学に合格した話や、どんなサポートをしてきたかをハイテンションで話し続ける人がいた。それだけならまだしも、他の人が来た途端、また一から同じ話を始めた。「時給もらっていいですか?」と思った。
ところで、他人への興味というのはなぜ発生するのだろう。
自分だけでは到達しそうもない感覚や情報を与えてくれそうだという期待感か。
また、全体を知って自分をマッピングする楽しさにも繋がるからか。
結局は自分への関心が高いということの裏返しでもあるのだ。
外国に行って、初めて日本の良さや課題に気づくことに似ている。
自分にも他人にも知的好奇心を持ちつつ、AとBを自由に行き来できるようなオトナになりたいなぁ。CやDにも寛容になれたとき、私の人間としての深みも増していることだろう。今世で叶うだろうか。
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![長橋 知子](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/95945708/profile_722af308628c74b899302b02f2a983ae.png?width=600&crop=1:1,smart)