20光年を経て、届く言葉もある。
誰かに、耳の痛いことを言われたとき。
「え、ピンとこないな」と思うことや
「分かっちゃいるのよ…でも腑に落ちない」みたいなことってある。
でも、どこか引っ掛かる部分があるから、無視することができないような。
20年前、当時付き合っていた人に言われた、忘れられない言葉がある。
何があってそう言われたのかは、全く思い出せないのだが、言われたときは相当へこんだし、とてもムシャクシャして、苦しくて、叫び出したい気分だったのを覚えている。
そういえば、この感情…今年の夏、20年ぶりに味わったな。
彼は確かに努力の人で、実業団のバスケットチームに所属していて、私と別れた数年後、プロの選手になった。
当時の私は、いつでも叱ってもらいながら、ずっと一緒にいられると思っていたんだよな。
フラれた後は、「あぁ、恋愛って、ボランティアじゃないもんね…」と当たり前のことなのに、虚しい大発見をして、抜け殻のようになっていた。
うっかり失恋話に逸れてしまったが、
今ならやっと、当時の元カレの言葉を素直に受け止めることができそうだ。
さすがにもう、「どうせ私なんて」は言わなくなった。
きっとそんな風に、自分を卑下して、現実から目を背ける自分が嫌だったから、死ぬときに後悔したくないから、やったことがないことに、飛び込むようになった。
どうせ、と言って、変わらない環境に文句を言うくらいなら、オーバーワークは承知の上で、変えたい場所に身を置いてみるようになった…んだと思う。
その元カレとの会話で、もう一つ、印象深い話がある。
すでに自分が知っていることを、誰かに自慢げに話されたときに、
「あ、そのこと、もう知ってる」と言って相手の話を遮っていた私に、
「チコはおこちゃまだな。知っていても、初めて聞いたようなフリをすればいいのに」
と彼が言った。
「なんで?もう知ってることを知らないふりするなんて、なんか悔しくない?」
と訊くと、
「自分がもう知っているってことを知らない相手のことを、馬鹿だなぁ、俺はもう知ってるのに、って思えば、全然悔しくない。その場は黙って相手に好きなように話させてあげたほうがいいよ」
と言うのだった。
私には全くない発想で、「信じられない、どういうこと?」と思った。
今思えば、事実と感情とを切り離して、状況を俯瞰して見ることができる人だったんだろうか。
会話の流れを止めない、相手に花を持たせる、みたいなニュアンスだったなら、老成した青年だったんだな。いや、私が子どもすぎたのか。
今日は、その老成した彼のお誕生日だ。
勝手に、遠い空の下からお祝いさせていただく。
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