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「捨てないと入ってこない」モノもあるかもしれないが、「入ってきたから捨てられる」モノもある。

20代の頃に買った靴で、まだ履けそうな靴を捨てられずにずっと持っていた。

元来の貧乏性に加え、手放すことが苦手な性格ゆえ、捨てられずにいた。
もう何年も履いていないのに。

しかし、それらを全て、年末に捨てた
ちゃんとカウントしなかったが、自分の分だけで、10足ほど捨てたと思う。

多くは、足の痛くなるようなハイヒールで、
かかとがすり減っているものもあり、直してまでは履かない、痛い思いはもうしたくない、と決断した。

オシャレは我慢、とかいう言葉を鵜呑みにしていた20代の頃。そんな「我慢は美徳」の変化形みたいな標語言い出したの誰だよ!?

また、思い切って捨てられたのは、
クリスマス前に、自分へのクリスマスプレゼントとかこつけて、履き心地の良い、柔らかいパンプスを手に入れたことが実は大きい。

「もう私にはこのパンプスがあるから、自分に優しくなれない靴たちとはおさらばしよう」
そう思えたのだった。

捨てないと入ってこない、の考え方も好きだけど、
私のような貧乏性で執着心のあるタイプは、新しいお気に入りを迎えることで、古いモノの偏差値が下がり、捨てられるパターンもあるんだなと気づいた。

ちなみに、最後まで捨てることを迷ったのが、このブーツ。

足の太さ(だけ)は変わってない🤭

確か24歳くらいのときに、札幌の大丸で買った。

凍った道を歩くこともある札幌の冬用の、滑り止めのついた、頼もしい牛革のブーツだった。

私が今まで買った靴の中で、もしかしたら一番高い靴だったかもしれない。25,000円くらいした記憶がある。

これを買った日、一緒にいた彼氏。
お会計時にポイントカードを探す私に、
「そんなのいいじゃん」とバカにするように笑った。

「いや、こんな高い買い物するのにポイントカード出さないとかありえなくない?」
と言う私に、さらに呆れたような顔を向けた。

少しずつ居心地の悪さを感じていたのに、どうして一緒にいられたんだろう。違和感に鈍感だったのは、捨てられない性格に加えて、自信のなさからだったか。

その後、その彼氏は東京に転勤になり、1年後私も後を追うように上京し、半年一緒に暮らした。まさかあんなモラハラ男だったとは思いもせず…

思い出すだけでムカムカと込み上げるエピソードまであるブーツを捨てられなかったのは、
「質が良いし、まだ履けるのに、捨てられるわけがない。それに冬に札幌に帰るときは必需品だ」と思い込んでいたからだった。

しかし私は、もう10年以上、札幌の雪を踏んでいない。

いらんよな。

あのモラハラ黒歴史の彼氏の思い出と共に葬ろう。

「捨てないと入ってこない」こともあるけど、
「入ってきたから捨てられる」こともある。

さて、恋愛に関してはどうだろう。
私は同時進行の経験はなく、
もっぱら前者派だな、なんて良い子ぶりっ子しそうになったけど、
彼氏がいながら、他の人が眩しく見えた経験も、あったような。

24歳のあの頃、履き心地のイマイチな、靴ずれが避けられないようなあの彼氏とすぐに別れられなかったのは、
次にまた誰かと出会って、付き合って、ということができるかどうか、とても、とても不安だったからだ。3年ぶりにできた彼氏で、この人を逃したら、次はないかもしれないんだよ、という焦りがあった。

今思えば、なんとしょうもない理由でしがみついていたのだろう。情けない。若くて可愛かった頃の私の時間がもったいない。笑

自分の価値を低く見積もって生きていた自分に喝を入れたい。

靴の話から恋愛の話になっちゃって、着地点がよくわからなくなってきたけど、要は

  • 靴も恋人も、心地良さ重視で

  • 自分に優しく、ワガママにいこう

そんなことを(過去の自分に)言いたかった…はず。

いや、違うな、お片付けを頑張った話を書きたかったような。笑

捨てすぎて靴箱ガラガラに!(生活感出まくりで失礼します)

しばらく、「入ってきたから捨てられる」方式で、物欲と断捨離の境界線を楽しみながら、物を減らしていけたらと思う。
でも「捨てたら入ってくる」こともやっぱりあるから、自分の直感を信じてやるのがいちばんだろう。

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長橋 知子
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