石原裕次郎『大あばれ五人男』(1957?)|幻の映画①日活時代劇路線と”総天然色大型映画”
この記事では、日活時代劇路線と未製作に終わった”総天然色大型映画”、”幻の正月映画”『大暴れ五人男』について語ります。
※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。
1957年、日活映画1954年映画製作再開から三周年を迎えていた。個人的には、この年が大きな転換であったと思う。
『踊る太陽』に始まり、製作再開三周年記念作品『勝利者』『今日のいのち』『幕末太陽傳』、総天然色&シネマスコープ作品の製作、そして『鷲と鷹』『嵐を呼ぶ男』と石原裕次郎の躍進、多くの評論が語るように日活アクション路線の原型に近づいていく訳だが…
ここでは敢えてそうした経緯ではなく、失われた日活時代劇路線を中心に話していきたい。
◇”信用ある日活映画”と日活時代劇
製作再開当初の”信用ある日活映画”は、どのような評価を受けていたのか?
私の地元愛知県に存在していた「ナゴヤ映画愛好クラブ」の機関紙『NEC』より製作再開当時の評価を見てみる。
また、(全ての人がそうであったとはこの記事だけでは読み取ることはできないが)戦前の日活時代劇を知る世代は日活の映画製作再開を歓迎し、戦前の時代劇路線復活を期待していたように思われる。当初は五者協定に阻害されながらも、新国劇時代劇を製作していた。
◇未製作に終わった”総天然色大型映画”
製作再開から3年を経た1957年、『日活映画 1957年1月号』にはついに”総天然色大作”かつ”往年の時代劇黄金時代を目指す”旨が予告されている。
続いて、日活株式会社宣伝部の発行した『日活ニュース 1957年6月20日号』。表面は”日活スコープ第一弾”『月下の若武者』と『殺したのは誰だ』、裏面は”製作再開三周年記念映画”『幕末太陽傳』『今日のいのち』の記事を特集している。
その中に、総天然色+日活スコープを「総天然色大型映画」と表現して”続く天然色の大型映画大作”五作品が予告されている。
実際に1957年に公開されたのは、ここに予告されている『月下の若武者』『白夜の妖女』『鷲と鷹』に加えて『危険な年齢』『嵐を呼ぶ男』の五作品…のはず。(『猟銃』は1961年正月映画として松竹が映画化)
なかでも『白浪五人男』は、実際に公開された『嵐を呼ぶ男』は”石原裕次郎主演”で”総天然色大型映画”として企画されている点で共通している。『嵐を呼ぶ男』以前に『白浪五人男』が正月映画として企画されていたという可能性があるのではないか、と考えた。
日活株式会社事業部発行『日活映画』巻末には、製作企画や撮影進捗状況を知らせる「スタジオ告知板」というコーナーがある。
『日活ニュース』から約二か月後に発行された『日活映画 1957年9月号』には『大あばれ五人男』という題で準備中であり、『日活ニュース』に掲載された配役の一部がより詳細になっていることがわかる。
さらに二か月後『日活映画 1957年11月号』には、正月公開予定だったが”止むを得ぬ事情により製作延期”となった旨が掲載されていた。
つまり、11月以前には実際に公開された『嵐を呼ぶ男』ではなく『大あばれ五人男(白浪五人男)』が正月映画として企画されていたことを裏付けている。
◇幻の正月映画『大あばれ五人男』の全貌(調査中)
先日、某ネットオークションに出品されていた『大あばれ五人男』の台本を落札できた。総天然色映画・日活スコープ(没デザイン?)も確認できる。
監督はやはり西河克己、原作は黙阿弥から瀬戸口寅雄の小説『大暴れ五人男』(同人社 1957)となっている。 スタッフや出演者の欄に記入はなかった。
他社の白浪五人男を題材とした作品と比較してみる。
瀬戸口寅雄は『ひばり十八番 弁天小僧』にも原作としてクレジットされているが、こちらは『弁天小僧 上』(那須書店 1959)という別の小説を基にしている。
弁天小僧に津川雅彦が配役されているが、もし公開されていれば後年の加東大介と叔父・甥で同役を演じたことになったのかもしれない。
これまでの調査から判明している作品情報を以下のクレジットにまとめた。
現実に、正月映画として公開された『嵐を呼ぶ男』は大ヒットを収め、主演の石原裕次郎を一躍スターに押し上げた。
しかし、もし『大あばれ五人男』が製作・公開されたとしたら、『鷲と鷹』石原裕次郎、『月下の若武者』長門裕之、『白夜の妖女』葉山良二、『危険な年齢』津川雅彦と”総天然色大型映画”のそれぞれ主役を演じた四人(+青山恭二)合わせて五大スターが揃って白浪五人男を演じるということになる…
こう想像してみると、正月公開映画として、一連の”総天然色大型映画”企画の集大成としても相応しい華やかな作品になったのではないのだろうか。
日活時代劇路線の強みは、戦前から時代劇映画を支えた名門マキノ一家の出であり、若い世代(特に女性)に人気もあった長門・津川兄弟を擁している点にあったと思う。しかし、実際には『江戸の小鼠たち』を最後に日活時代劇路線は一時途絶え、以降の日活映画は石原裕次郎を軸として現代アクション路線に大きく方針転換している。
私個人としては、裕次郎の現代アクション路線、長門・津川兄弟の時代劇路線を日活映画の軸とすることもあり得たのではないか、と考えている。
…あくまで想像の範疇でしかないが。